東京送電水力 発祥之地
とうきょうそうでんすいりょくはっしょうのち
中央本線 猿橋駅の西800mぐらいの旧旧甲州街道とみられる沿線に, 東京電力駒橋発電所がある。発電所の入口手前に東京電力新駒橋独身寮があり, その前に自然石の碑と説明板が建っている。
日本で最初の水力発電所は, 明治21年(1888) に仙台の三居沢発電所、明治24年(1891) に京都の蹴上発電所だった。
東京では市内に小規模な発電所を設置して電力を供給していたが, 日露戦争の影響で石炭が不足するようになり電力需要の増加に対応できなくなったため, 大容量の水力発電所を建設して長距離送電することによって対応しようとした。
この計画に基づいて 東京電燈が 明治40年(1907), 山梨県広里村(当時)の駒橋に建設した駒橋発電所は、出力15,000kWで, 当時としては日本最大の水力発電所であった。 東京の早稲田に変電所を設け, 80kmの距離を55,000kVの特別高圧で送電を行い, その後本格化した高圧長距離送電の草分けとなった。
当時の発電機などは昭和20~30年代に更新され, 現在もなお発電を続けている。竣功当時は8本あった水圧鉄管は現在は2本となって山を下っているのが下から見ることができる。
なお 「東京送電水力発祥の地」というのは おかしな名称である。
- 「東京電燈」と
- 「長距離送電」と
- 「水力発電」を
一言で表現しようとして, かえって舌足らずな名前になってしまったのだろうか。ネーミングの失敗例である。
写真
碑文
東京送電水力発祥之地
昭和三十九年三月一日建之
明治四十年十二月二十日十六時送電開始
東京送電水力発祥の地
東京電力㈱の前身である東京電燈㈱は,東京に水力の電力を送電しようと甲州桂川の駒橋に15,200KWの発電所を建設し,80Kmの送電線と早稲田に変電所を建設するという画期的な長距離送電水力発電所を計画しました。
明治39年着工し工事関係者の精力的な努力により工事は順調に進み明治40年10月20日 午後4時待望の水力電気が55,000Vの送電電圧により麻布,麹町一帯に歴史に残る灯をつけました。
これが我が国初の水力発電長距離送電の草分けとなりました。
この快挙にふさわしい由緒深い地を後世に残そうと昭和39年3月構内にあった発電所,保修所,保線区の職員70名が 一丸となって駒橋出張所跡地に幅0.8m 高さ1.8mの記念碑を建立した。
碑石は台石共桂川の清流で清められた 自然石を用いて碑文は昭和16年当時の東京電燈㈱駒橋出張所長 竹村重武氏の自筆によるものです。
昭和39年3月建立関係者が多数出席のうえ除幕式が行われました。
今この碑は周囲の状況が一変した駒橋 独身寮の前に立ち若い職員は歴史の 重みをかみしめながら自己の向上と社 会の発展のため励んでいます。昭和六十二年四月吉日