豊見城 間切 発祥の地
とみぐすくまぎりはっしょうのち
ゆいレール 赤嶺駅から国道331号を南に2kmちょっと、天御人之御神の境内地に碑がある。
写真
碑文
瀬長拝所建立碑
琉球においては、神は大空なる「ウフシカグラ」や海上はるかな「ニライカナイ」の国に住んでいると信じられ、海邊の小島とか小高い丘等には各村落単位に拝所が設けられている。瀬長拝所もその一つであり、瀬長島には、昔から神の島、信仰の島として多くの拝所があった。これらの拝所は戦後、瀬長島の土地接収に伴い、現在地アカサチ森に安置されていたが老朽化が激しくなり當拝所の建立となった。當拝所に祭られている神々は天御人の御神、龍宮繼宮の御神、按司墓の御神、三様御神、お嶽の御神、泉井の御神である。これらの神々をはじめ瀬長島は豊見城間切の世立て主である南海大神加那志(アマミキヨの子)の住地として王骨が埋葬されていると傳えられ豊見城間切発祥の地として由緒ある地であり、また瀬長物参(ムヌメー)や子寶岩で知られ、全島からの参拝者が多い。尚當拝所建立に際しては、瀬長區民の奉仕活動参拝者核の御奉納等があり、ここに関係者各位の功績を記し、當拝所が末永く整備、保存されることを期待する。
昭和五十年四月吉日竣工
施主 豊見城村字瀬長區民
設計 榮一建築設計事務所
施工 次郎組平成十八年十一月十九日
三十三年忌改修工事