稚内 地名 発祥の地

わっかないちめいはっしょうのち

宗谷本線の稚内駅から 南南東に1km。オロロンライン 道道106号に面して真言寺がある。寺の境内の南縁を小さな川(沢)が流れており,その脇に駒札が建てられている。

稚内は(実効支配されない北方領土を除けば)日本最北端の市で,宗谷総合振興局の所在地。人口は約36,000人(2014年)。

歴史的に見ると,稚内は古くから松前藩の管理下にあって宗谷場所(交易所)が開かれ栄えていた。明治に入ると宗谷村に役場が置かれ,この地域の中心地となったが,やがて大型の船舶を受け入れられる港を有する稚内(宗谷湾を挟んで対岸)に中心が移った。

宗谷の役場があった地には 現在「稚内市発祥の地」の碑がある。

地名の「稚内」はアイヌ語の“ヤム・ワッカ・ナイ”(冷たい飲み水の沢の意)に由来する。この“沢”というのは真言寺の横を流れる川のことで,この沢の水は冷たく飲用に適していて,船に積み込む飲用水としても重用されたという。

写真

  • 稚内地名発祥の地
  • 稚内地名発祥の地 駒札
  • いろは橋の由来
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碑文

稚内地名発祥の地

此の沢が稚内地名発祥の地である。
稚内市大字稚内村字ヤムワッカナイと呼称していた。アイヌ語で「ヤムワッカナイ」とは「冷たい奇麗な水のある川」の意味であり,此の水を稚内港を出る多くの船舶の飲料水として摘み込み,又は地域住民の命の水として古くから大切にされて来た。又,此の場所はアイヌ語で「シリクラエンルン」と呼ばれ「もののけの住む所」とも云われていた。
後に真言寺開創の伊藤智教法尼が堂宇を建て,弘法大師をお祀りして是を鎮める。後に開基上人鮒井英應師は,この沢の滝を「いろはの滝」と称し賛嘆した。

注:甲寅は1974(昭和49)年

地図

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