湧井 涌井氏 発祥之地

わくいしはっしょうのち

ナウマンゾウの化石出土で名を馳せる野尻湖の東側、上信越自動車道 豊田飯山I.C.から北西に約5km、県道96号から少し入り込んだ、かつては下水内郡豊田村永江字涌井と呼ばれた、中野市永江の道端に石版と石標が建つ。

なお、たまたまなのか現地は草木が生い茂り、ややもするとせっかくの石碑に気づきにくい。尤も、当地は広く開かれた通り道ではないので偶然通りかかる誰かにアピールするものではないのだろうが、現地のどなたかに委託するなどして主張と保護にもう少し力を入れてもよいのではないかとも思った。

写真

  • わく井友の会碑
  • 湧井涌井氏発祥之地
  • わく井友の会碑 碑陰
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碑文

古跡 湧井寺趾

湧井涌井氏発祥之地

昭和五十三年十月 ワク井会 建之

愛知縣蒲郡市竹島町
會長涌井秀雄

わく井友の会碑

湧井寺趾
訪れ行けば時鳥
 鶯も鳴く
御山斑尾

出水池
涌井の水は
千曲川信濃となりて
 海につらなる

昭和五十七年八月十四日
わく井友の会建之

「涌井」の地名の由来

この地は、湧井 涌井氏の発祥の地、涌井である。もと鎌倉幕府執権六代北条長時弟、六波羅探題五代北条時茂の流れ、飯山常磐牧常岩中条の城主 至徳四年(一三八七)高梨村上同心輩に襲われ、中条を逃れこの地を開き 出水池の湧水にあやかり湧井氏を稱し栄えたが、豪雪と寒氣のため斑尾山を乱伐し 雪崩に悩まされ、この地を放棄した。涌井の地名はその名残りである。
ここに同族の有志、わく井友の会を結成しこの地との親睦を深め、この碑を建てたものである。

昭和五十七年八月十四日
わく井友の会々長 湧井雄山撰文

「わく井友の会」碑建設者

(略)

地図

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中野市永江 付近 [ストリートビュー]