渡良瀬川 発祥の地
わたらせがわはっしょうのち
わたらせ渓谷鉄道 足尾駅前に“古河掛水倶楽部”がある。その敷地内にある“銅山電話資料館”の横に「渡良瀬川発祥の地」と書かれた説明板が建っている。
渡良瀬川は 利根川の支流。日光市足尾町から草木ダムを経て,群馬・栃木の県境を流れて渡良瀬遊水地に入り,古河市と加須市の境界で利根川に合流する。一般に 神子内川との合流部から下流が渡良瀬川で,上流は松木川と呼ばれていたが,国土交通省では 昭和40年(1965) 以降,足尾ダムから下流をすべて渡良瀬川とし,足尾ダム上流部を松木川としている。
伝承によれば,奈良時代の終わり頃 日光を開山した勝道上人がこの川を渡ろうとしたところ,浅瀬を見つけて その場所を“渡良瀬”と名づけ,その地名から“渡良瀬川”となったいう。その場所がここ掛水倶楽部付近であったとされるため,この地は「渡良瀬川発祥の地」と言われる。
足尾銅山は 江戸時代初期から採掘が開始され,明治10年(1877) に古河市兵衛が近代化をはかって 全国有数の銅山となり,古河鉱業(現・古河機械金属)は 現在の古河グループに至る事業の基盤を作った。「古河掛水倶楽部」は,明治32年(1899) に古河鉱業が 賓客の接待用に建てた迎賓館で,旧館は国の有形文化財に指定されている。一部の施設は現在でも古河機械金属が使用しているようで,週末には一般にも公開されている。
余談だが「銅山電話資料館」は,足尾銅山の施設内で使用された電話の交換機が置かれた施設。明治9年(1876) にグラハム・ベルが電話機を発明した10年後の 明治19年(1886) に足尾銅山に導入され,民間企業が導入した電話としては国内最初であった。明治40年時点で100回線に達しており,事務所・坑内をはじめ,足尾の町役場や駅にまで通話することができたという。昭和40年(1965) に手動交換機から自動交換機に入れ替えられたが,この施設は平成12年(2000) に現役を引退するまで使用された。
写真
碑文
ここから約150m上流
渡良瀬川発祥の地
足尾銅山の深い歴史を共に歩んだ渡良瀬川,その名の由来は1200年の昔,日光を開山した勝道上人が修験の途次,この地に分け入り対岸に渡ろうとしたが,谷が深く流れが急なので,困っていたところ,ようやくこの辺りで浅瀬を見つけ無事に渡ることができたので,対岸の地を「渡良瀬」とし,川の名を「渡良瀬川」と命名したと伝えられている。以来,ここから約150m上流の,松木川と神子内川(みこうちがわ)が合流する地点から下流を,渡良瀬川と称してきたが,昭和40年(1965)に渡良瀬川の起点は,松木川の上流に変更された。
日光市