横浜市 十全医院は 横浜中病院を以て 其の発祥とす
よこはまじゅうぜんいいんはよこはまなかびょういんをもっておそのはっしょうとす
横浜市営地下鉄ブルーライン阪東橋駅から南に350m、横浜市立大学附属市民総合医療センター(横浜市南区浦舟町5丁目77)入口脇に、「日本人経営民間病院発祥の地」として横浜市十全医院の前身である横浜中病院の創始を記念する古びた石碑がある。また隣には文字起こしした看板が並ぶ。
明治元年(1868) に横浜・太田陣屋跡に設立された「横浜病院」を前身とし、のちに「十全医院」と改称された医療機関である。当初は官民の協力によって設立され、ヘボン式ローマ字提唱者J.C.
明治4年(1871) 4月、医師で実業家でハヤシライス提唱者の早矢仕有的の主唱により、有志の寄金をもとに横浜の弁天通に仮病院が開設された。しかし、近隣の火災による類焼のため、同年9月に閉院した。その後、明治5年(1872) 7月、太田町6丁目に代替施設が設けられ、横浜病院と称した。同年10月には野毛老松町の施設に移転し、横浜共立病院と改称した。このことが、日本人経営による民間病院発祥であるとされる。
明治7年(1874) 2月、横浜共立病院は結局神奈川県に移管され、十全医院となった。さらに明治24年(1891) 4月、横浜市に移管され、横浜市十全医院と改称した。
大正12年(1923) の関東大震災では、横浜市十全医院の施設が全壊・焼失したが、翌大正13年(1924) に南吉田町(現在の南区浦舟町)へ移転して再建された。昭和19年(1944) には横浜市立医学専門学校の附属病院となり、医学教育を担う病院としての役割も加わった。その後、横浜医科大学病院などを経て、横浜市立大学の附 属病院へとつながっている。
健民厚生の碑は横浜市立大学医学部附属市民 総合医療センターにあります(長い・・・) 1871年に中区北仲通りに設立された仮病院が 日本人経営による民間病院の #発祥の地 です。 数カ月で焼失しており翌年に横濱市病院の名で 再建されました。そこから70周年の記念碑です。 #Yocco18 https://t.co/QrT2UDK7Ym
— Jay(じゃー) (@Jay_spiritless) October 25, 2026
写真
碑文
健民厚生
横濱市十全醫院は明治五年八月二十日中区太田町に創始せる。
横濱中病院を以て其の発祥とす。 翌六年十二月老松町に移築し共立病院と呼び七年二月十全醫院と改編せり。顧みれば當時本邦が醫學に尚は未だ幼稚なりしも本院は夙に種痘其の他嶄新なる療法を實施せるが為其の聲譽遠近に昂り加ふるに逐年内容を整備し治療に將た防疫に事績極めて顕著なりき。然るに大正十二年九月曠古の大震火災に遭ひ全院烏有に歸したるを以て隣接平沼氏邸を借用し災後の應急要務を遂行し十数餘萬の患者を診療せり。 畏くも、皇后陛下の行啓を辱ふせしは實にこの年十一月五日なり。かくて翌十三年六月、地を現在の浦舟町に相し假病舎を設けて移轉し更に復興工事を計画し十五年十一日本館の竣工を告げ翌昭和二年六月二日畏くも秩父宮殿下御巡察の光榮に浴す。 爾後逐次病棟の増營及設備の充實を遂げ現今の盛運を呈するに至れり。 懐ふに其の克く斯の如きは偏に上、皇室の御恵澤と官民大方の仁情に由るものなり。 今や皇国未曾有の重大事難に直面し本院の使命亦彌重きを覚ゆるに際し本院創立七十年を算す誠に意義深きものあるを感じ茲に来歴を要録して記念となす。昭和十七年八月二十日
横浜市長 正四位勲三等 半井 清
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