ブラジル 移民 発祥之地

ぶらじるいみんはっしょうのち

神戸市営地下鉄 県庁前駅から北へ約1km、海外移住と文化の交流センター前に大きな石碑が立つ。

日本から海外への移民は 明治初期のハワイ移民にはじまる。その後 アメリカ本土などに広がったが 日本人排斥により制限を受けるようになった。一方 ブラジルでは, 奴隷制度の廃止により 労働力の確保のために移民を受入れを始め, 明治41年(1908) に 笠戸丸により 800名弱が移住したのを皮切りに, 戦前(1908~1941) に19万人, 戦後(1952~1863) に6万人が ブラジルに移住した。

“神戸移住資料室”は, 大正14年(1925) に“国立神戸移民収容所”として開設され, “神戸移住収容所”, “神戸移住あっせん所”, “神戸移住センター”と名称を 変えながら, 海外移住者の導入教育に利用された。昭和46年(1971) に閉鎖され, 2002年から 建物の一部が 移住資料室として, 移住関連の資料の展示公開に利用されている。

神戸港メリケンパークには「希望の船出」という像が建っている。神戸港から旅立った 海外移住者を讃えて平成13年(2001) に建立された。

写真

  • ブラジル移民発祥之地 副碑
  • ブラジル移民発祥之地
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  • ブラジル移民発祥之地
  • 希望の船出 碑文
  • 希望の船出

碑文

ブラジル移民
発祥之地

1919年4月

 ブラジル第1回移住船「笠戸丸」が781名の移住者を乗せ神戸港を出帆したのが明治41年4月28日(1908)年であり, その後も引つづき 戦前戦後約25万人の人々が神戸港からブラジルへ移住されたのを記念して発祥のこの地に記念碑を建立するものである
 この記念碑に使用の石材は遠くブラジル在住の兵庫県人会の有志から贈られたもので ある

昭和54年4月28日

兵庫県 神戸市
国際協力事業団
財団法人 日伯協会

希望の船出

 この記念碑は, いままさに希望に燃え, 世界に旅立とうとする海外移住者の家族像である。子供が指さす彼方は移住する国である。移住者は大きな夢を抱き, 一抹の不安も感じながら, 「青い鳥」を追って未だ見ぬ大地を目指し, 移民船で勇躍出発した。移住者は, 多大の苦難を乗り越え, 移住した国に根を下ろし, 日本の国際化の先鋒として, 日本との架け橋となり, 移住先の国と日本のために大きな貢献を果たした。これら先陣がこんにちの世界中で活躍する250万人日系人の基礎を築いた。
 1999年10月, ブラジル日系5団体から, 篠山幸俊神戸市長宛に出された陳情書がきっかけとなり, 私どもは, 市民運動として「神戸港移民船乗船記念碑実行委員会」を組織し, わが国から世界に向けて出発した移住者を顕彰する記念碑を建立する運動を進めてきた。記念碑建立運動にご賛同いただいた内外の皆様に衷心からの感謝を表するとともに, ここに, 神戸港移民船乗船記念碑を建立し, 海外移住者の功績をたたえ, 後世に伝えるものである。

2001年4月28日

神戸港移民船乗船記念碑実行委員会
顧問   佐藤 国吉   乾 英文
会長   平田 幸広
副会長  坂本 重太郎  佐藤 和男
     中内 功    山中 昭夫
監事   宮道 博
事務局長 黒田 公男

地図

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