深川村 発祥の地
ふかがわむらはっしょうのち
地下鉄 新宿線 森下駅の南 200m。住宅地の中に「深川神明宮」がある。神社前の歩道上に, 江東区が設置した“江東みちしるべ”という案内板があって, 深川神明宮が「深川村の発祥の地」であると書かれている。また 神社門前の大きな石碑には 神社の由来が記され, “深川の地名の起こり”と 書かれている。
最近 江東区 深川地区は「深川発祥」をキーワードに キャンペーンを行っている。清澄庭園・深川江戸資料館・芭蕉記念館・のらくろ館・富岡八幡宮 などの 観光スポットを多く抱えたこの地域は, 散歩をするのに楽しい所だ。
写真
碑文
江東みちしるべ
深川神明宮
(寿老人)由来
この辺一帯は, 慶長年間(1596~1614)に摂津国(大阪府) の深川八郎右衛門ほか6人が新田を開拓し, 八郎右衛門の姓をとり深川村と名付けられた、深川村発祥の地です。八郎右衛門は持地内の小祠に神明を勧請したと伝えられ, これが深川神明宮です。
のち, 現在の新大橋・常盤・高橋・森下・猿江・住吉あたりの開拓が進み, 八郎右衛門は代々名主をつとめました。
深川七福神のひとつ(寿老人)として親しまれています。東京都江東区
由来記
今カラ凡ソ四百余年ノ昔深川ノ地ハ,葦ノ茂ル三角洲デ住ム人モ 無カッタ ソノ頃深川八郎右衛門ト云ウ人ガ一族ヲ引連レコノ一帯 ヲ開拓シタ 八郎右衛門ハ敬神ノ念篤ク,崇敬スル伊勢皇大神宮ノ 御分霊ヲ奉斎シテ,開拓民ノ福祉ト当地ノ発展ヲ祈願シタノガ深川 神明宮ノ初メデアル ヤガテ徳川家康公ガ江戸ニ入府,慶長元年当 地ヲ巡視シ八郎右衛門ヲ召シテ地名ヲ尋ネタ 未ダ住ム人モ少ナク 地名モナキ由答エルト,家康公ハ八郎右衛門ノ姓「深川」ヲ以テ地名トセヨト命ジタ 深川ノ地名ノ起コリハ,神明宮ノ鎮座スル実ニ 此ノ地ナノデアル
爾来深川ノ地ハ江戸ノ繁栄ト共ニ発展シ,当宮モ「深川総鎮守神 明宮」ト称エラレ,多クノ崇敬ヲ集メルコトトナッタ ソノ間ニハ 震災戦火ノ大キナ災禍ガアッタガ 氏子万民ノ赤誠ヲ以テ昭和四十 三年ニ御社殿御造営モ成リ,衆庶ノ崇敬益々旺ンデアル 今般,郷土和楽万民繁栄ヲ祈念シテ御鎮座四百年祭ヲ斎行スルニ 当タリ,今日ノ繁栄ノ礎ヲ築イタ郷土ノ先人ニ感謝シ,当宮ノ由緒 ヲ茲ニ記ス平成九年八月吉日
深川神明宮宮司 内野成浩 謹撰
神明禰宜 藤井昭彦 謹書