五本杉 地名 発祥之地

ごほんすぎちめいはっしょうのち

身延みのぶ線 国母駅の西に広がる押原公園の北西に隣接して、源氏螢発生地公園がある。その南の隅の三角に狭くなっている所へ石碑が建てられ、わざわざ金網を切って道路側から見られるようにし、残った金網の一部に金属板の説明が括り付けられている。

五本杉という地名の由来についてと、正法しょうぼう寺のはじまりついての、2つのことがないまぜに語られている。しかし、五本杉がどこだかということはここからはわからない。正法寺の開創については、現在も続く正法寺のページに書かれている。

當山の由来は鎌倉時代、日蓮大聖人直弟子(六老僧)の一人、白蓮阿闍梨・日興聖人が正応3年(1290)10月に旧経塚(昭和町押原公園北)に一宇の草庵を結び、御両親の追善供養をされたのを起因とする。又、その地に五本の杉を植えられたことで、今日も「五本杉」という地名が遺る。拠って當山は、古来より「日興聖人御双親為報恩経石書写之旧蹟」とされている。その後250年程を経て、押越の清水家より日出上人が生れ出る。

山梨県 蓮華山 正法寺の由来・信条

白蓮阿闍梨について「第三弟子」の三の中棒を白く塗って剥げたようになっていて、第2なのか第3なのかよくわからない記述になっているが、一般的に日蓮正宗第二祖と呼ばれているようだ。

なお、五本杉という地名は住居表示としては使われていない。そのため全く気づかなかったのだが、敷島団地〜山梨大附属病院を結ぶバス路線のバス停に「五本杉」の名を留めているということを後から知った。五本杉自体、あるいはその場所まではわからない。

写真

  • 五本杉地名発祥之地
  • 誤字修正か、いたずらか
  • 五本杉地名発祥之地 背面

碑文

御両親菩提の為経石書写之旧跡
日興聖人御草庵之霊跡 蓮華山 正法寺

五本杉地名発祥之地

平成二十三年二月七日建立

日興建設株式会社
 小林正次
 小林好江

蓮華山正法寺 日正代

日興上人・五本杉経塚(蓮華山正法寺開創地

当地は鎌倉時代、日蓮聖人第二弟子、白蓮阿闍梨日興上人が正応三年(一二九〇)に一宇の草庵を結んだ押越正法寺の開創地である。立正安国や両親報恩を祈り、また「妙法蓮華経」の五字に因み、五本の杉を植えた霊跡から、古来より「五本杉経塚」と云われ、「日興聖人御双親為報恩経石書写之旧蹟」とされている。
その後、開山日出上人が、天文二十三年(一五五四)二月十六日に仏堂を建立するも、天正六年(一五七八)五月十二日に大洪水があり、同宇の全てを流失し、天正七年(一五七九)二月に現在地に移転した。

(昭和町誌参照) 昭和町教育委員会

地図

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中巨摩郡昭和町西条 付近 [ストリートビュー]