浜松 消防 発祥之地

はままつししょうぼうはっしょうのち

浜松駅から西に1.2km。鴨江小路に面して“浜松市鴨江アートセンター”がある。その向かって 左側の空地に「浜松消防発祥之地」と刻まれ丸い窓に鐘が飾られた石碑が建っている。

“浜松市鴨江アートセンター”は、もと浜松市警察署の建物であり、隣の発祥碑のある場所も、現在は取り壊されて更地になっているが、かつては中消防署鴨江出張所があった場所であり、さらに遡ると浜松市消防本部が開設された場所である。

日本で消防が組織化されたのは江戸時代になって、幕府が“定火消”“町火消”などの制度を定めたことに始まる。これらは非常勤の消防力で、火災発生時のみ出動する義務を負わせた制度であった。

明治維新後、町火消などの制度は廃止され、代わりに“消防組”が新設された。身分は半官半民の消防夫が火災時にボランティアで消火活動を行う仕組みで、現在の“消防団”のような組織であった。通常消防夫は非常勤で非常時にのみ出動する制度であったが、都市によっては常勤の消防組も組織された。各市町村に消防本部が設置されたのは自治体消防制度が発足してからのことで、昭和23年(1948) になってからである。

浜松市の消防業務は、大正14年(1925) に常設の消防組が設置されたことに始まる。昭和24年(1949) 10月には消防本部が開設され、近代的な消防が組織化された。現在は7つの消防署と19か所の消防出張所を有し、約900人の職員が所属している。

写真

  • 浜松消防発祥之地
  • 浜松消防発祥之地
  • 浜松消防発祥之地 碑陰
  • 浜松消防発祥之地 背面
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碑文

浜松消防発祥之地

この地は,昭和二十三年三月の消防組織法の施行に伴い,昭和二十四年十月一日,市民の生命,身体及び財産を守るため,自治体消防として浜松市消防本部が発足し,近代浜松消防が歩みはじめた時である。これまでの消防の栄光ある歴史と伝統を受け継ぎ,「安全で安心して暮らせるまちづくり」をここに誓い,建立する。

平成二十三年三月

浜松市長 鈴木康友

地図

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浜松市中区鴨江町 付近 [ストリートビュー]