北海道 鉄道 発祥駅
ほっかいどうてつどうはっしょうえき
函館本線 小樽駅から北に 1.5km。小樽市総合博物館(旧・小樽交通記念館)の南端、手宮口に向かって左手に大きな石碑が建つ。
なお、入口右手には「北海道鉄道発祥の地 小樽」というモニュメントがあり、詳説はそちらのページをご参照いただきたい。
写真
碑文
北海道
鐵道發祥驛北海道の鉄道発祥地 手宮駅である その由来は明治六年に北海道開拓長官黒田清隆が幌内煤田採掘の計画の下に技師を派遣して調査研究させた結果に基づきまづ幌内幌向太間は鉄道を建設し幌向太からは石狩川を船で川口に下り小樽に運送する計画を樹てた事に始まる 明治十二年三月に線路の測量が開始されたが偶々冬季河水の凍結石炭積替の手数等のため不利であるとの意見が出で鉄路により直接小樽港手宮に運送する事が最も有利であると認められ幌内手宮間五十六哩の一部手宮札幌間の鉄道が敷設される事となった 明治十三年十一月十八日逐に手宮軽川間が開通し列車は弁慶号機関車をもって運転された ついで同月二十四日に札幌まで開通し更に明治十五年末に札幌幌内間が竣工しここに手宮幌内間が全通した 以後鉄道は逐次延長されて今日の発展を見たのである その第一歩はまさしく手宮駅からであって北海道の鉄道発祥地と称する所以である しかるにこの由緒深い手宮駅の旅客取扱が太平洋戦争酣の昭和十八年十月に国策によって廃止された 以来市民は尠からず不便を感じてゐたが二十年八月終戦を迎へると共にこれが復活の声は油然と起った ここにおいて有志は手宮駅旅客取扱復活期成同盟会を結成し会長に西富士松を推して運輸当局に復活請願を続け幾多の紆余曲折を経て二十三年十一月十日に列車は漸く南小樽駅まで復活した やがて乗換のための不便が頗る多く重ねて直通列車運転を要路に懇請した結果二十四年九月から岩見沢駅まで二往復の直通列車の運転を見るに至ったのである これを機会に手宮駅の由来に併せて長年月に亘り献身的の努力を尽した西会長の偉大な効績を勒し碑を建立して記念とする
平塚常次郎 書
昭和二十四年十一月十八日 建之
手宮驛旅客取扱復活期成同盟會
第三十六代手宮驛長 古畠芳太郎撰