茨木高等学校 発祥の地
いばらきこうとうがっこうはっしょうのち
阪急京都線 総持寺駅から北西。総持寺の山門をくぐった右側に、黒い立方体のような形をした石碑がある。
- ahisats3のブログ
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写真
碑文
大阪府立茨木高等学校発祥の地
大阪府府立茨木高等学校(開校当時大阪府尋常第四中学校)は明治28年(1895)この島下郡三島村の総持寺の庫裏にて呱々の声を挙げた。当時の教育熱の高まりに応じてこの年3校が同時開校となった。時あたかも日清戦争終結の年である。同年2月27日初代校長加藤逢吉着任。教員室・小使室など増設の後、4月25日開校。入学生121名。「土地高燥 空気清潔且ツ民家ニ遠ザカリテ樹木多シ 生徒ノ健康ニ最モ利益アリ」という環境であった。当時の生徒の回想によれば、生徒は「菜の花咲く春の野に小高く霞む」西門に向けて「筒袖の和服に袴をはき風呂敷包みを抱え」雨の日も通学し「順礼の歌う御詠歌」を耳にしつつ励んだという。しかし、学年が進むにつれ次第に手狭となり、明治30年の夏、現在地・茨木市新庄町に移転した。二年半に及ぶ茨木高校揺籃期の旧跡である。