市川団十郎 発祥之地
いちかわだんじゅうろうはっしょうのち
ここは 以前「
「市川団十郎」は 人気・実力ともに江戸歌舞伎を代表する役者の名家で, 『荒事』を得意芸とする。屋号は「成田屋」。代々世襲で「団十郎」の名跡を継いでおり現在は12代目になる。(令和2年(2020) に11代海老蔵が襲名するとされている)
「市川団十郎発祥の地」というと 市川団十郎 という個人の発祥(=生誕の地)のように思われやすいが, ここでは歌舞伎の市川一門の宗家「市川団十郎家」の発祥ととらえるべきであろう。
この発祥碑の設立のいきさつなどは, 歌舞伎文化公園に設置された説明板に記されている。
写真
碑文
市川團十郎発祥之地
抑々 我が市川家発祥の地は何処なるや 探し求めて長きに亘る 時至 り昭和七年 市川三升事十代團十郎来甲の砌 石原家に三百有余年秘蔵せ し古文書並に系図一巻閲覧 書中に曰く 堀越十郎家宣 元武田家に仕え 後下総国幡谷に移る 其の孫堀越重蔵江戸に出づ 其の一子即ち初代市川 團十郎也云々と 三升狂喜し 直ちに銅像建立を思い立ちしが果さず 父 十一代團十郎志を承け 此地に木標を建つも既に朽つ 不肖此の処に佇み 父祖の遺志を憶い 一碑の建立を発願するに 幸いなるかな普く甲州有志 の賛同を得 今茲に 市川團十郎家発祥顕彰碑の成就を見る 歓喜無量 感悦天翔る如し 此の挙に惜みなき芳庇を賜りし後援各位の御恩顧 市川 家一家一門子々孫々まで 永劫忘れまじきもの也
昭和五十九年十一月吉日
十代 市川海老蔵 敬白
歌舞伎文化公園の由来
歌舞伎文化公園は江戸歌舞伎の盟主,初代市川團十郎の曾祖父に当たる堀越十郎が甲斐武田氏の武将,一条信龍に仕えていた、という史実に基づいて建設されました。
十代市川海老蔵丈が「十代・十一代團十郎 は市川家(本姓・堀越家)祖先の地を顕彰したい,と願っていたが果たせなかった。私の十二代團十郎襲名を機会に実現したい」と山梨県・三珠町・山梨日日新聞社・山梨放送に要請しました。
これを受けて市川團十郎顕彰会が碑を建立したものです。
碑はアフリカ御影石を使い高さ二メートル,幅九十センチ,奥行き八十センチ。上部に市川家の紋,甲州ゆかりの三桝をデザインし,題字は歌舞伎文字ともいわれる勘亭流です。
碑の右側面には鳥居清倍筆による初代團 十郎の役者絵「竹抜き五郎」が浮き彫りされています。市川團十郎顕彰会
市川三郷町