神中 神高 希望ヶ丘高 発祥の地
じんちゅうじんこうきぼうがおかこうはっしょうのち
東海道“西横浜駅前”交差点から水道道を南東に入り、“藤棚町”交差点から急坂を上る。坂を登りきった地点に神奈川県教育会館があり、その東側の空き地(桜蔭会駐車場)にこの碑が建っている。藤棚町交差点からここまでの急坂は、通称「神中坂」と呼ばれているというが、標識はない。
なお、「神中神高」は「神奈川県立中学校・同高等学校」の略であろうが、どのように読むのか不明である。上記のタイトルでは仮に「かなちゅう・かなこう」としたが、「じんちゅう・じんこう」「かんちゅう・かんこう」とも読める。(関係者から読み方を教えていただきたい)
(2004.3追加) Y.A.さんから「神中神高」の読み方について次のような連絡をいただいた。
「神中・神高」の読み方が解らないと語られています。これは「じんちゅう・じんこう」と読むのが正しいです。
神奈川県内で最も歴史のある高校として、かれこれ100年以上、この愛称で世間でも通っておりますし、3代目の校歌にも「じんちゅう(またはじんこう)」という言葉が出てきます。ぜひ訂正をお願い致します。
というわけで、タイトルの読み方を訂正。
【リンク】県立希望ヶ丘高校
写真
碑文
神中神高希望ヶ丘高発祥の地
沿革
- 明治30年
- この地に神奈川県初の県立中学校
神奈川県尋常中学校創立
以後県立校新設に伴い数回校名変更- 大正12年
- 県立横浜第一中学校と改称
- 昭和20年
- 5月横浜大空襲により校舎焼失
戸部六浦へ移転- 昭和23年
- 学制改革により県立横浜第一高等学校
と改称- 昭和25年
- 県立希望ヶ丘高等学校と改称
- 昭和26年
- 横浜市旭区南希望が丘へ移転
創立百周年を記念し建立
平成9年10月吉日
神中神高希望ヶ丘高同窓会
桜蔭会