上方 落語 発祥の地
かみがたらくごはっしょうのち
大阪地下鉄千日前線と谷町線が交わる 谷町九丁目駅の西500m。
関西の落語は「上方落語」と呼ばれ, 関東では 単に「落語」あるいは「江戸落語」と呼ばれるが, 呼び名だけでなく両者には小道具や慣習などに微妙な違いがある。
上方落語はもともと 屋外で通りすがりの人を相手にしていたため目立つ必要があって, 小道具や鳴り物を使うなど, 江戸落語よりも比較的派手なのが特徴とされる。
落語は大阪・京都で発祥し, 江戸の落語は上方から流入したものと言われる。上方落語の発祥については, 「米澤彦八が大阪で芝居のものまね・軽口咄を行った」 という説がある一方, 「京都 北野で露の五郎兵衛が 辻咄を聴衆の前で口演した」 という説もある。後者については 北野天満宮境内に「露の五郎兵衛顕彰碑」が 建っており、これも「上方落語発祥碑」と呼ばれることがある。
写真
碑文
上方落語
発祥の地
米澤彦八の碑遠く寛永,正徳の砌,生國魂神社に は太平記読み,芝能,萬歳,人形操 りなど諸々の芸能者が蝟集し,就中 米澤彦八の芝居物真似,軽口咄はよ く人の頭を解かしめ,世に彦八咄の 称を弘むるに至ったと云ふ。享保年 中初代彦八没して後も,幸にしてそ の滑稽諧謔の精神は絶ゆることなく 多くの名人上手輩出してよくその衣 鉢を伝へ,逐に今日の上方落語の隆 盛を招来した。所謂,彦八咄の誕生 より数へて凡そ三百年,茲に上方落 語家相集ひ更めてその遺業を偲びそ の伝統を継承し,以て益々の芸道精 進を誓ふべくこの碑を建立したる次 第を略叙し,撰文に代ふると云爾。
平成二年九月五日
三田純市記
上方落語の祖ともいうべき初代米澤彦八の名を残すべく,その碑を建立することは,我々の先輩である五代目並びに六代目笑福亭松鶴父子のかねての念願でございましたが,残念ながら両人ともその志を果たし得ぬうちに他界致しました 然るにこの度,六代目松鶴の五年忌に際し笑福亭仁鶴を筆頭とする一門がその遺志を継ぎ,彦八ゆかりの当地に「米澤彦八の碑」を建立する運びと相成りました。これを機に,上方落語への益々のご愛顧を賜りますよう皆々様にお願い申し,併せて賛同の意を申し述べさせていただきます。
平成二年九月五日
- 上方落語協会
- 桂 小文枝
- 桂 春団治
- 桂 米朝