県農 発祥の地
けんのうはっしょうのち
山陽本線 明石駅の北側に広がる明石公園(明石市明石公園1-27)。南側の正門から入ると正面に明石城の櫓, 左側に野球場が見える。その野球場の手前に黒褐色の石碑が建っている。
「県農」とは「兵庫県農学校」あるいは「兵庫県立農業高校」の略称(愛称)。明治30年(1897) にこの地に創立された「兵庫県簡易農学校」に始まり, 2年後に「兵庫県農学校」の名称になった。大正11年(1922) に現在地である 加古郡平岡村新在家(現 加古川市平岡町新在家)に移転。昭和23年(1948), 戦後の新学制の下で「兵庫県農業高等学校」と改称, その後「兵庫農科大学短期大学部附属高等学校」を経て, 昭和32年(1957) に「兵庫県立農業高等学校」となった。
明石公園は, 明石城の城跡を利用した非常に大きな公園で, 面積は 約55万平米(約17万坪)ある。明石城は 江戸時代初期に明石藩主となった小笠原忠真が元和5年(1619) に完成させた城で, “喜春城”あるいは“錦江城”とも呼ばれる。天守閣は造られなかった, 城の四隅に櫓が設けられていた。
明治7年(1874) の廃城令により廃城となり, 北東隅の
明石公園にある県農発祥の地の石碑の工事で石積みしてきました!
— やまじ (@yamatampe) March 9, 2018
県農に関わる仕事ができて良かった
これからの県農生が見学に来ると思ったら一生の誇りやpic.twitter.com/AXnXTLFiUl
写真
碑文
兵庫県立農業高等学校
県農発祥の地兵庫県知事 坂井時忠 書
明治30年4月1日 兵庫県簡易農学校この地に創立
明治32年4月1日 兵庫県農学校(甲種)に昇格
明治34年4月30日 兵庫県立農学校と改称
大正11年4月1日 加古郡平岡村新在家に移転
昭和23年4月1日 兵庫県立農業高等学校と改称創立80周年を記年してこれを建立
昭和52年11月22日
社団法人 錦江会