国技発祥の地
こくぎはっしょうのち
桜井線
相撲神社は穴師坐兵主神社の摂社で
試合の結果は 野見宿禰が蹴速を蹴り技で倒し(腰を踏みくじいて)蹶速は命を失った。天皇は當麻蹶速の土地を野見宿禰に与え,宿禰はこの地にとどまって天皇に仕えたという。蹴り技があるなど現代の相撲とはかなり異なる相撲だったようだが,古代における武術の争いは 命がけで行うことが常識だったのかもしれない。
現在 日本相撲協会の本拠地は“両国国技館”と呼ばれるなど,相撲を“国技”と呼ぶことに抵抗は少ないようだが,正式に相撲を国技と定めた法令規則文書等はとくに存在しない。柔道や剣道を国技と考える人もある。
神社の入口,道路沿いに「カタヤケシ由緒」という説明板が掲げられている。“カタヤケシ”とは,相撲神社のある場所の地名で,日本書紀に天覧相撲が行われた場所として記されている。
写真
碑文
国技発祥の地
天覧角力 開祖 相撲神社
国に国歌,国花があるが如く日本の国技は相撲である。相撲はもとは神の信仰から出て,国土安穏,護国豊穣を祈る平和と繁栄の祭典であり,第十一代垂仁帝の七年,野見宿彌と大麻蹶速が初めて天皇の前で相撲をとり相撲節(七月七日)となりそれがもとで後世,宮中の行事となった。
昭和三十七年十月六日,大兵主神社に日本相撲協会時津風理事長(元横綱双葉山)を祭主にニ横綱(大鵬,柏戸)五大関(琴ヶ浜,北葉山,栃ノ海,佐田ノ山,栃光)をはじめ,幕内全力士が参列。相撲発祥の地で顕彰大祭がおこなわれ,この境内のカタヤケシゆかりの土俵に於いて手数入りが奉納された。