倶知安 小学校 発祥 旧跡地

くっちゃんしょうがっこうはっしょうきゅうせきち

函館本線 倶知安駅から 東に5km。倶知安農村公園の斜め向かい,国道276号 尻別国道に向かって右手に倶知安神社がある。神社の鳥居の奥に「倶知安小学校発祥旧跡地」と書かれた石碑と,そのすぐ横に学校の沿革を記した説明板が建っている。

明治29年(1896) に倶知安で最初の小学校として「倶知安尋常小学校」が開設された。場所は倶知安神社の境内。ここに建てられた小さな校舎で,単一学級の学校が始まった。明治43年(1910) に ここから150mほど東に移転し「八幡尋常小学校」と改称。

八幡小学校は戦後までこの地にあったが,昭和59年(1984) に新設の「東小学校」(この地から西に2km)に統合され,廃校となった。

すぐ近くには「学校教育 発祥之地 八幡」碑がある。

写真

  • 倶知安小学校発祥旧跡地
  • 倶知安小学校発祥旧跡地 背面
  • 倶知安小学校発祥旧跡地 説明板

碑文

倶知安小学校
発祥旧跡地

昭和六十年八月四日建立
八幡学校同窓会
倶知安神社宮司 尾形清雄

沿革

明治二九年開拓四年後で町の戸数およそ七八〇戸にふくれ上りそれ迄各地の私塾で寺子屋式で教えていたがその頃になり今井又蔵・小田三郎衛門・真鍋浜三郎・泉菊次郎の四人が小学校設立委員となり戸長役場筆生清野志馬・虻田郡長蓼原郷一に働きかけ室蘭郡役所に出頭国の補助五〇円を得て倶知安町民の寄付一六〇円を受け合計二一〇円で二四坪の単級教室を此の地に完成縫部塾の上田甚助初代校長となり明治二九年九月一一日開校其の後一部増築し九代校長小川原政信に至る迄即ち明治四三年一二月二五日現在の地八幡小中学校に移転迄実に一五年の間此の神社境内の地にありて多くの人材を養成せし倶知安最古の学校旧跡地である事を後世に伝えんがためこの標を建立し沿革を略記す。

昭和四五年九月一五日

歴代校長

  • 初代 上田甚助   明治29-31
  • 二代 米内波蔵   〃 32-32
  • 三代 中川弥惣治  〃 32-33
  • 四代 松本常次郎  〃 33-34
  • 五代 三浦政治   〃 35-35
  • 六代 興賀田源吉  〃 36-37
  • 七代 別府国一   〃 38-38
  • 八代 井沢秀三郎  〃 38-42
  • 九代 小川原政信  〃 42-大正10年

地図

地図

倶知安町八幡 付近