九段精華学校 発祥地
くだんせいかがっこうはっしょうち
平成19年(2007) に千代田区役所は九段南1-2-1に新築された九段第3合同庁舎に移転し、かつての千代田区役所(九段南1丁目6-11)は取り壊された。その千代田区旧庁舎に都道から向かって右手、西側の端に石碑が建っていた。ここにあった3つの石碑「日本体育会体操学校之碑」「愛國婦人会発祥碑」「九段精華学校発祥地」は、取り壊し〜国家公務員共済病院(九段南1丁目6-12)の建設に伴い、病院裏手のお堀端の千代田会館寄りにまとめて移設され人目につきにくくなった。
明治38年(1905) 寺田勇吉により九段精華学校として創立、明治44年(1911) には九段精華高等女学校を開校し改称。並びには平成23年(2011) に廃業した九段会館もすでにあった。戦争時代になっても英語教育があったりスカートだったり、なかなかハイカラな女学校として存在していた。
昭和20年(1945) 空襲により校舎焼失、廃校。
「千代田区女性史 第2巻(ドメス出版 , 2000.3)」にも語られているようだ。
p.104で、空襲に被災した日(3月9日~10日)がわかる。p.136に「空襲により校舎が全焼したため校長が廃校宣言し、敗戦とともに校舎跡地は米軍に接収され、モータープールとして使われた。学校関係者は接収解除の嘆願書を持って米軍司令部、関係官庁をまわり奔走したが、復校ならず、最後の第30回、31回卒業生は焼け跡で涙ながらに校歌を歌い卒業式をした。その後同窓会が財団となり学校の財産を継承し、育英事業にのりだし、大学生、高校生の奨学制度を実施した」との記述あり。
twitterではこのような写真を発見。
昭和12年頃の九段精華高等女学校。
— ふるたか (@furutakatoyo) 2016年4月2日
はっとするクリアーな写真で、半ば開いた窓や奥のカーテンなどライブ感が伝わってきます。
奥には隣接の軍人会館(九段会館)が見え、塀の具合から緩やかな坂の様子もわかる。本校舎は東京大空襲で罹災。 pic.twitter.com/wvF5v6ozGA
碑文にある「財団」は、昭和38年(1963) に発足、卒業生の子弟に奨学金を出していた。
石碑の話にもどると「昔はもっと立派な碑がライトアップもされていたのに」との記憶もあるようだが、写真等の視覚的資料は見当たらなく残念。
参考資料
- 再録(九段精華高等女学校物語)
読みました。おもしろかったです。
暮らしぶりがよく伝わる貴重な資料と思いました。 - daily-sumus(予備.zip)
写真
碑文
九段精華学校 発祥地
平成八年六月
九段精華同窓会
財団法人 九段精華財団 建之青山 石勝刻