新潟明訓高校・発祥の地

にいがためいくんこうこうはっしょうのち

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弥彦線 弥彦駅から北に450m、旧鈴木家住宅(弥彦村弥彦1293-2)入口に札が立つ。

鈴木家住宅で発祥した明訓校は、明治15年(1882)に国学者の大橋一蔵によって設立された私塾である。

当時、明治政府の政策により西洋の学問、特に英語が重視されていた。しかし、旧来の漢学や国学を重んじる人々も多く、彼らはこれらの学問を継承し、教育の場を設けることを望んだ。こうした声に応える形で、大橋一蔵は弥彦神社の宮司官舎近くにあった旧鈴木家住宅の醤油蔵を借り、そこで明訓校を開いた。明訓校の設立には、弥彦の地元の有志たちが尽力した。彼らは、生徒の学費を免除し、学校運営の費用を寄付によって賄うなど、熱心に学校を支援した。

明訓校では、漢学や国学、数学、歴史、地理などが教えられた。これらの科目は、当時の公立学校では軽視されがちであったため、明訓校は独自の教育方針を打ち出した。また、師範学校の卒業生を教員に迎え、質の高い教育を提供した。

明治18年(1885)に県立中学校と合併すると、その後の県財政の悪化などが原因となり、明訓校は明治29年(1896)に廃校となった。しかし、その教育精神は失われることなく、昭和17年(1942)に新潟夜間中学校が「明訓」の名称を継承し、現在の新潟明訓中学校・高等学校へと繋がっている。

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碑文

新潟明訓高校・発祥の地

旧鈴木家住宅・醤油蔵

翠裕道人

地図

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