荷卸の松 丹羽 発祥之地
におろしのまつにわはっしょうのち
JR函館本線の
向かって右手前に「荷卸の松 丹羽発祥之地」と刻まれた白っぽい石碑と「荷卸の松記念保護樹木」という説明板が、左側には「荷卸の松・玉川里丹羽村」と書かれた古い石の杭が建っている。
東京・神田で警察署長をしていた丹羽五郎氏(元会津藩士)率いる入植者の一行は、1892(明治25)年この地に到達し、枝葉が繁茂して大傘を張ったような木があり姿が見事だったので、木の下に荷物を下ろし小屋掛けして数日ここに野営した。12戸20名で開墾をはじめ、2年後にはさらに会津から18戸、1902(明治35)年には会津・宮城から55戸が入植するなど規模が大きくなり、丹羽村の基礎を築いた。
丹羽氏は農地の開拓とともに養蚕組合を設立したり溜池の造成を行い、また小学校・郵便局などを設立している。1913(大正2)年には276戸1380余人が入植し、開拓農地1000町歩余に達した。丹羽村は瀬棚村、瀬棚村、東瀬棚村、北桧山町などを經て現在はせたな町となっている。この碑は1989(平成元)年に建立された。
なお、この木は「荷卸の松」と呼ばれているが、松ではなくイチイ(オンコ)の木である。現在は北海道の記念保護樹に指定されている。荷卸の松の前に設置された説明板には、次のように書かれている。
荷卸の松記念保護樹木
この木は、樹齢270年と推定されているイチイです。イチイは別名オンコと呼ばれ、北海道に成育する代表的な針葉樹の一つで庭木などとして多くの人々に親しまれています。明治25年、元会津藩士であった丹羽五郎氏が開拓移民の一行とともに、この地に足を踏み入れ、大傘のようなイチイがあり、この木の下に荷物を降ろしたと言われています。
以来このイチイは「荷卸の松」と呼ばれるようになり、開拓当時をしのぶ地域のシンボルになっており、道路改修のため、近年この地に移植されました。
昭和48年3月30日指定
北海道
また古い石杭には次のように書かれている。
荷卸の松 玉川里丹羽村
明治二十五年三月二十一日瀬棚よ
り道なき路を辿りつゝ壮丁二十名
と共に来り重荷を此樹下に卸し小
屋掛けに着手し数夜露宿せり(ニハ)
写真
碑文
荷卸しの松
丹羽発祥之地平成元年十月吉日
丹羽連合部落会 建之
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