日本 野球 発祥の地
にっぽにんやきゅうはっしょうのち
学士会館の正面玄関前北側の道路に面してこの碑が建つ。平成15年(2003) 12月6日に除幕式が行われたできたてホヤホヤの発祥の地碑である。
学士会館は東京大学の前身開成学校が開設された場所で、ここに招聘された米国人教師ホーレス・ウィルソン氏が生徒たちに野球の指導をしたことが、日本における野球の始まりとされたという。
『ボールを握る右手』をかたどった碑はブロンズ製で、高さ2.4m。ボール上には世界地図が描かれ「日本と米国を縫い目によって結ぶことで野球の国際化を表現」しているとのこと。ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して学士会と野球体育博物館が建立した。
近くに寄って見ると手の形がちょっと生々しい。
2014~2015年頃、英文の説明板が追加されたようなので [未踏] とした。
どちら様か見てきてください
日本野球発祥の地⚾️ pic.twitter.com/FPghYITS7s
— 永野照男 (@TERU401) December 26, 2020
写真
碑文
日本野球発祥の地
この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。1872(明治5)年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(1843~1927)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。この野球は翌73年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長した。これが「日本の野球の始まり」といわれている。76年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。
ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州ゴーラム出身、志願して南北戦争に従軍した後、71年9月にサンフランシスコで日本政府と契約し、来日、77年7月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。
同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後に大学予備門,第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。
2003年、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。
まさにこの地は「日本野球発祥の地」である。
2003年12月 (財)野球体育博物館
The birthplace of Baseball in Japan
Here in 1872 at the First Middle School of the First University District (which developed into Tokyo University in 1877), Horace Wilson, an American teacher, taught his students how to play baseball. In 1878, when it was re-named Kaisei Gakko and a playing ground was built, he reportedly enjoyed playing baseball with them. This is acknowledged as the beginning of baseball in Japan. In 1876, they played a game with a foreign team comprised of Americans living in Tokyo and Yokohama.
Horace Wilson (1843 - 1927) was born in Gorham, Maine, in the U.S. After participating in the Civil War as a volunteer, he made a teaching contract with the Japanese Government in San Francisco in 1871. He taught Eglish and mathematics. His team of contract was officially expired in July, 1877.
In 2003, he was inducted into the Japanese Basball Hall of Fame for his great contribution to Japanese baseball as the introducer of the game.