日本清酒 発祥之地
にっぽんせいしゅはっしょうのち
桜井線
もともと日本の酒は“どぶろく”のような濁り酒であった。これが“すみざけ”ともいわれる 現在のような清酒が造られるようになるのは,酒造りが朝廷から寺院に移る室町時代であった。朝廷は造酒司などの部署で酒造を行っていたが,その技術や人員が外部に流出し,大和や河内など各地の大寺院で酒造りが行われるようになる。この時代,大寺院は豊かな経済力があり,荘園から納められる米を用いて自家醸造され,これらは“僧坊酒”と呼ばれた。
正暦寺は 最盛期に所属する塔頭の数は 120にも達し,大量の僧坊酒を造る筆頭格の大寺院であった。当時の正暦寺では,仕込みを3回に分けて行う“三段仕込み”や,麹と掛米の両方に白米を使用する“
15世紀半ば 正暦寺で醸造した清酒は“
奈良県では 昭和63年(1998) に 酒母「菩提酛」の復活に成功し,毎年1月に正暦寺で菩提酛を仕込み、“奈良県菩提酛による清酒製造研究会”に所属する蔵元11社が,この酒母で酒造りに取り組んでいる。
写真
碑文
日本清酒発祥之地
清酒造りの起源
日本清酒は室町時代(一四〇〇年代初頭)に菩提山 正暦寺において創醸され その高度な醸造技術は 近代醸造法の基礎となりました
奈良県菩提酛による清酒製造研究会
西暦二〇〇〇年十月一日