日本清酒 発祥之地

にっぽんせいしゅはっしょうのち

桜井線 帯解おびとけ駅から東に5km。奈良と天理の中間の山あいに,菩提山正暦しょうりゃく寺がある。この境内にシンプルな白い石碑が建っている。

もともと日本の酒は“どぶろく”のような濁り酒であった。これが“すみざけ”ともいわれる 現在のような清酒が造られるようになるのは,酒造りが朝廷から寺院に移る室町時代であった。朝廷は造酒司などの部署で酒造を行っていたが,その技術や人員が外部に流出し,大和や河内など各地の大寺院で酒造りが行われるようになる。この時代,大寺院は豊かな経済力があり,荘園から納められる米を用いて自家醸造され,これらは“僧坊酒”と呼ばれた。

正暦寺は 最盛期に所属する塔頭の数は 120にも達し,大量の僧坊酒を造る筆頭格の大寺院であった。当時の正暦寺では,仕込みを3回に分けて行う“三段仕込み”や,麹と掛米の両方に白米を使用する“諸白もろはく造り”,酒母の原型である“菩提酛ぼだいもと造り”,腐敗を防ぐための火入れ作業など 近代醸造法の基礎となる酒造技術が確立されていた。

15世紀半ば 正暦寺で醸造した清酒は“菩提泉ぼだいせん”の名前で販売されており,これが現代の清酒の祖とされている。

奈良県では 昭和63年(1998) に 酒母「菩提酛」の復活に成功し,毎年1月に正暦寺で菩提酛を仕込み、“奈良県菩提酛による清酒製造研究会”に所属する蔵元11社が,この酒母で酒造りに取り組んでいる。

写真

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碑文

日本清酒発祥之地

清酒造りの起源

日本清酒は室町時代(一四〇〇年代初頭)に菩提山 正暦寺において創醸され その高度な醸造技術は 近代醸造法の基礎となりました

奈良県菩提酛による清酒製造研究会
西暦二〇〇〇年十月一日

地図

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奈良市菩提山町 付近 [ストリートビュー]