濃尾平野 発祥の地
のうびへいやはっしょうのち
名古屋鉄道の犬山線の大山寺駅から 北東に800m。岩倉市立南部中学校の南,五条川待合橋脇に ガードレールを背景にして高さ1mほどの石碑が建っている。
濃尾平野といえば,岐阜県南西部から愛知県北西部にかけて広がる平野で,面積は(計測の仕方にもよって いろんな数字が出るだろうが)およそ22,000㎢、関東平野の 1/10ぐらいの面積である。その発祥の地が,この五条川の土手になるのだろうか? どう考えても納得がいかない。
この碑のすぐ横には「五条川改良圃水田開創竣工顕彰碑」という大きな記念碑が建っていて,これの最後に「事業主、当村 加藤鎌一 建之」とかかれており,「濃尾平野発祥の地」の裏面に書かれた碑文「加藤健一」と同一人物らしい。
ほとんど根拠もなしに勝手に想像すると.五条川の治水工事が端緒となって,木曽三川の治水がおこなわれ,濃尾平野が現在のように安定した肥沃な土地になったということを言いたかったのだろうか。
濃尾平野は木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)による土砂の堆積によって形成された、日本有数の広大な平野である。岩倉市曽野町周辺は、この平野の形成過程において地理的・歴史的に重要な位置を占めており、土砂の堆積や開墾の歴史の象徴としてこの地に碑が建てられた。碑が立つ当地周辺は、かつて川の流れや地形の変化が激しく、平野の広がりを実感できる象徴的な地点とされている。
写真
碑文
濃尾平野發祥の地
惟うに北は稲置(大山)より南へ曽野に至る凡そ巾ニ粁乃至五蜒々長長さ二十粁の自然堤防の集落にして南端終点は女靴形にして美し尾の如くに垂れそれが張り出して尾張となる追々に洪積して尾張に蓑着せて来たのが現在の濃尾平野で有る
昭和甲寅 発祥記 曽野 加藤健一
注:甲寅は昭和49年(1974)
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