大垣 高等女学校 発祥の地
おおがきこうとうじょがっこうはっしょうのち
東海道本線・養老鉄道 大垣駅から南西に550m。水門川にかかる龍の口橋のたもとの高砂手洗場脇の植込みに、被爆地の跡の小さな石柱に並んで赤みを帯びた御影石(花崗岩)の石碑がある。
明治33年(1900) 岐阜県安八郡大垣高等女学校開設、明治34年(1901)、大垣町立高等女学校と改称。後に県に移管されて岐阜県立大垣高等女学校となった。設立当初の校舎は、現在の大垣市役所付近に置かれ、地域の女子教育の基盤としての役割を担った。その後、生徒数の増加に伴い施設の拡充が進められ、校地も整備された。
戦後の学制改革により大垣高等女学校は新制高等学校に改編され、岐阜県立大垣桜高等学校へと受け継がれた。
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— お お が き (仮) お い で よ ⛲ (@_ogaki_) July 23, 2024
岐阜県大垣市
水門川沿い
石碑
被爆地の跡
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合掌🙏
その隣
大垣高等女学校発祥の地
その隣
龍の口橋
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写真
碑文
大垣高等女学校発祥の地
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