大畑 発祥之地
おおはたはっしょうのち
県道4号沿い 深山神社
写真
碑文
大畑発祥之地
深山神社由来
祭神 誉田別命(応神天皇)
例祭 六月十四日、十五日神社の創建は、不詳。御神体に延暦元年(七八二)の文字や、延喜四年(九〇四)別当職を大行院が始めたとの言い伝えがある。
元和二年(一六一六)再建、元和三年焼失、元和四年再建、慶安元年(一六四八)南町に八幡宮を遷座、当神社も奥の院として江戸時代まで、深山権現宮と呼ばれ祭神のほか阿弥陀、観音の二面の鏡子も併祀されていたが、明治になり神仏分離令により鏡子が取り外され、以後深山神社と改められた。
深山一帯は、一説によれば大畑地名発祥の地とも呼ばれている。
また、檜山は自然林の宝庫でもあり江戸時代には社殿■築改築材、御用船の材料として伐採されたほか、度重なる大飢饉の米稗などの食料買付の担保として、幾多の人々を救済したと言われている。
文化八年(一八一一)川内の藤田三左衛門が、宮古で三千石船を作ったときその帆柱として、深山境内にある切株八丁敷の木材を伐採したということである。
栃ノ木は、神木とされ傍に先人の最初の開発偉業を偲び、郷土を愛する心を後世に伝えるため石碑を建立した。大畑町教育委員会
大畑町は平成17年(2005) 3月に下北郡川内町・脇野沢村とともにむつ市に編入された。