蚕業革新 発祥記念
さんぎょうかくしんはっしょうきねん
篠ノ井線 松本駅から東に2km。 “あがたの森公園”の北側に“蚕糸記念公園”がある。 公園の東隅に 高さ3mぐらいの大きな石碑が建ち 碑の上部に「蚕業革新発祥記念」と刻まれている。
この碑は昭和3年(1928)に蚕糸業関係者によって,当時の蚕糸試験場・松本支場内に建てられたもので, 外山亀太郎博士が一代交雑の有利性を提唱して実用化に至るまでの過程と, その揺籃の地が松本であることを伝えている。
メンデルが エンドウマメの実験から遺伝の法則性(メンデルの法則)を『植物雑種に関する研究』にて明らかにしたのは1865年(慶応元年頃)。当時東京大学の助教授であった外山亀太郎博士は,蚕の遺伝に関する研究を始め,明治39年(1906)に蚕であってもメンデルの法則に従うことを実証した。動物にメンデルの法則が適用されることを 証明したのは これが最初であった。
この業績を基に、外山博士は異なる種類の蚕を掛け合わせて得られる“一代雑種”が 強健性・多産性・繭の質などにおいて優れていることを明らかにした。原産種製造所に就任した外山博士は,養蚕業者に一代雑種を奨励し, その後10年間で90%以上という驚異的な普及率を果たし,繭の品質改善と養蚕の生産性向上に大きな貢献をした。
この地は蚕糸試験場 松本支場があった場所で,その後の養蚕業の衰退に伴い蚕糸試験場は “独立行政法人農業生物資源研究所”となる。松本支場は平成18年(2006)に閉鎖されて,跡地は多目的運動公園 蚕糸記念公園となった。
写真
碑文
蚕業
革新
発祥
記念正二位勲一等伯爵清浦奎吾篆額
明治三十九年ノ交外山農學博士ニ依リテ一代交雑蠶種ノ有利ナルヲ提唱セラルルヤ蠶品種ノ改良ハ本邦蠶絲業ノ問題トナリ其ノ實行ヲ叫フモノアリト雖モ幾多ノ困難ナル事情伏在シ爲ニ進テ着手スル者ナカリキ然ルニ今井五介氏斯界ノ大勢ヲ洞察シ大正三年蹶然トシテ起チ久根下美賀蔵十時雄次郎井上伍鹿楜澤精一諸氏ノ進言又ハ援助ヲ得テ東筑南安ノ蠶種同業組合ニ諮リ同年夏鳥羽久吾二木洵中原半一郎篠崎四郎丸山光司ノ五氏ニ嘱シテ壹千有餘枚ノ蠶種ヲ製造シ之ヲ兩郡ニ無償配布シ技術員ヲ派遣シテ指導セシメタルニ結果ハ頗ル良好ニシテ到底在来種ノ追從ヲ許ササルモノアルヲ知リ同年秋産繭品評會ヲ開催シ斯界ノ覺醒ヲ促シタルニ大ナル衝動ヲ與ヘ該蠶種ノ希望者續出スルニ至レリ實ニ之レ本邦ニ於ケル一代交雑種實用化ノ濫觴ニシテ又蠶絲業界ノ劃時代的施設タリ爾来官民一致ノ協心努力ニ依リ今ヤ蠶品種ハ全ク一變シ一代交雑種ノ普及ヲ見ルニ至リタルハ國家ノ爲慶賀ニ堪エサル所ニシテ國富ノ増進ニ寄與セシ効果亦洵ニ甚大ナリト謂ツヘシ茲ニ星霜十有五年今昔ノ感ニ禁ヘス乃チ有志相謀リ之乃發祥地ニ記念ノ建碑ヲ企テラレ予ニ撰文並書ヲ需メラル不文敢テ乃ニ應フ
昭和三年十二月十四日
顧問
大日本蠶絲會會頭正三位勲二等子爵牧野忠篤撰竝書
帝國養蠶組合會會長 正四位勲三等男爵藤村義明
蠶絲同業組合中央會會長 從四位勲三等志村源太郎
背面の芳名群は省略