笹子 追分人形 発祥の地

ささごおいわけにんぎょうはっしょうのち

国道20号 甲州街道 笹子トンネルの南500mほどのところから南へ県道212号 日影笹子線を笹子隧道の方へ分岐して400m、大月市笹子町追分新田地区にある笹子追分人形ふれあいセンター(大月市笹子町黒野田91)敷地入口に、立て札が建っている。30年くらい経ってそうな風合いだが、実際にはまだ数年ということのようだ。

普通に民家と思ったので遠慮がちに眺めていたが、実際にはふれあいセンターということを後から知った。

笹子追分人形は、山梨県大月市笹子町で江戸時代後期に生まれた郷土人形。土でできた素朴な立ち姿が特徴で、旅人や庶民の信仰・願掛けの対象として親しまれた。

特に有名なのが「笹子追分道祖神」の祭礼に関連してつくられたもので、道中安全や縁結び、子孫繁栄などを願って、人々が持ち帰る風習があった。そのため、追分人形は単なる装飾品ではなく、願いや祈りを込めた信仰対象としての性格を持ってた。

人形は型に土を詰めて焼き上げる素焼きでつくられ、彩色は控えめながら、表情や姿勢に温かみがある。これは当時の庶民の生活感覚や美意識を反映しており、郷土玩具の中でも素朴さと精神性の高さで知られてる。

笹子は、甲州街道の重要な宿場町・追分に位置し、東西を結ぶ交通の要衝でした。この地は旅人が往来し、物資や文化が交差する場だった。こうした中で、道祖神信仰と結びついた追分人形の文化が自然に育まれた。

笹子追分人形は一時期、後継者不足や都市化の影響で制作が途絶えていたが、地元の保存会や民俗学者たちの努力により、昭和以降に再評価され、今日では郷土文化遺産として見直されている。現在では、地元の資料館などでその姿を見ることができ、年に一度の「道祖神まつり」では復元された人形の展示も行われている。

このように、笹子追分人形は単なる人形ではなく、地域の歴史、民間信仰、人々の願いが込められた文化財となっている。

写真

  • 笹子追分人形発祥の地
  • 笹子追分人形発祥の地
  • 笹子追分人形発祥の地 追分人形碑
  • 追分人形碑 背面
  • 笹子追分人形発祥の地 背面
  • 笹子追分人形発祥の地
  • 笹子追分人形発祥の地 背面

碑文

県無形文化戝

笹子追分人形発祥の地

令和四年五月吉日
笹子追分人形保存会

追分人形

昭和二十七年十月二十九日

地図

地図

大月市笹子町黒野田 付近 [ストリートビュー]