さつまいも 発祥の地
さつまいもはっしょうのち
さつま芋は17世紀初めごろに野國総管が中国から沖縄に伝えたと言われ、痩せ地でもよく育つことからたちまち近隣の村に広まった。しかし九州など沖縄以外の地域にひろまるのは意外に遅く、およそ100年後のことになる。
さつま芋の鹿児島への伝来ルートとして、
- 慶長16年(1611) に島津家久が琉球に出兵した際に兵士が持ち帰った
- 正和19年(1698) に種子島の島主・種子島久基が琉球・尚貞王より取り寄せた
- 宝永2年(1705) に山川の漁師・前田利右衛門によって伝えられた
の3説があるという。
山川町(現 指宿市)は開聞岳の裾野にある農漁村で、ここで船乗りをしていた前田利右衛門は、宝永2年(1705) に琉球から持ち帰ったカライモ(=サツマイモの鹿児島での呼称)の栽培に成功し、この栽培は瞬く間に鹿児島全域に広がった。これが日本本土におけるサツマイモ普及の初めであったと伝えられる。利右衛門は“甘藷翁”と呼ばれ、山川町の
この「さつまいも発祥の地」碑は平成17年(2005) に「さつまいも伝来300年祭」を記念して建立された。
写真
碑文
さつまいも発祥の地
山川町長 東孝一郎書
甘藷翁 前田利右衛門
さつまいも伝来300年祭
記念碑
2005年11月5日建立
多くの命を救った甘藷翁前田利右衛門のさつまいも伝来三〇〇年を記念して、徳光神社外苑のこの地に「さつまいも発祥の地」として記念碑を建立するものです。
薩摩の国、山川の船人であった前田利右衛門は、船主河野覚兵衛家の船に乗り、宝永二年(1705年)大海原を越え、琉球から「唐いも」を持ち帰り、自ら も栽培方法を見い出し、その栽培方法をまわりの人々に分け隔てるなく教えました。「唐いも」は薩摩の国にたちまち広がり、時の将軍徳川吉宗の知るところと なりました。江戸幕府の命を受けた青木昆陽が薩摩の国から栽培方法を学び、「唐いも」が飢饉などの食料危機から人々を救う打開策になると進言し、「さつま いも」の名で日本中へと伝えられていきました。その後の食料危機から多くの人々の命を救った功績は大きいものがあります。第二次世界大戦後、さつまいもは 日本中で栽培され多くの人々を飢えから救ったことは記憶に新しいところです。
「先見性」「チャレンジ精神」「創造性」「奉仕の心」は偉業の支えになるもので現代でもことを行うときに通じるものです。
この功績を顕彰、世に伝えたのは翁の船主筋にあたる山川の佐々木廣謙、河野道直両氏であります。両氏建立の墓前碑が基調となり薩摩藩史に、さらに県有識者の頌徳碑建立へと発展してまいりました。佐々木、河野両氏に感謝の誠を捧げます。
さつまいも伝来三〇〇年の記念事業として行ったフォーラム「ありがとうさつまいも」南薩摩からの発信、そしてミュージカル「RIEMON遥かな海からの贈り物」は翁の遺徳を顕彰し、理解を得るための情報発信として、大きな役割を果たしました。さつまいも伝来三〇〇年祭の記念事業の推進、開催に対し多くの方々のご理解とご支援、また、多額のご寄付をいただきありがとうございました。ご芳名を刻字して感謝の意を表します。
ボランティアとして誠意を持って参画、実行に向けて奔走していただいた方々に謝意を表します。
平成十七年(2005年)十一月五日
さつまいも伝来三〇〇年祭実行委員会甘藷翁 前田利右衛門の さつまいも伝来300年祭
(2005年11月5日・6日 メイン・イベント開催)