新発田商業高校 新発田南高校 発祥の地
しばたみなみこうこうはっしょうのち
羽越本線 新発田駅から北西に1kmあまり、新発田市民文化会館と南東側の新発田市立歴史図書館の間にある通路付近に、ネジネジな石碑が立っている。
認可、開校を経て、大正7年(1918) に三の丸に校舎落成、移転。その後昭和5年(1930) に現在地 清水谷郷に再移転。
写真
碑文
新潟県立新発田商業高等学校
新潟県立新発田南高等学校 発祥の地
- 大正6年5月
- 新発田町立商業高校 開校
- 昭和6年2月
- 県立新発田商業学校 移管
- 昭和19年4月
- 県立新発田工業高校 改称
- 昭和23年4月
- 県立新発田商工高等学校 改称
- 昭和58年4月
- 県立新発田商業高等学校
県立新発田南高等学校 分離
大正初の町の有識者が新発田町の繁栄策について考究し、実業的人材を育成することが最良ということになり、商工学校設置の機運がたかまった。偶々大正天皇即位の御大礼の記念事業もあり先以て商業学校の開学に至る。大正六年五月十日、町立新発田商業学校がこの地三の丸溝口屋敷内に開校された。
創立八十周年記念事業としてここ発祥の地に記念碑を建立する。平成9年10月16日
新潟県立新発田商業高等学校
新潟県立新発田南高等学校 創立八十周年記念事業実行委員会