相馬郷 發祥地
そうまきょうはっしょうち
鎧甲に身を包んだ騎馬武者で知られる福島伝統の夏祭り「相馬野馬追」で知られる相馬太田神社(南相馬市原町区中太田)の向かいに、大きな石碑が建つ。
派な台座の上に5mほどの細長い石碑が建ち「相馬郷発祥地 孫五郎重胤公城址」とある。設置は昭和12年(1937) 2月。碑の背が高く、旧漢字仮名遣いで碑も古いため、全文を読み取るのは困難だった。碑文には、おおよそ次のような内容が記されていると思われる。
承平時代(931〜937)に平将門が下総に妙見社を創建し、その後、将門から数えて十二代目で初代相馬氏となる相馬師常が、奥州征伐の功績で源頼朝より現在の原町周辺の土地を与えられた。相馬氏の六代目、相馬胤が、元亨3年(1323) に下総からこの地、太田に移り住み、宮祠をまつったことから、ここを相馬発祥の地としている。胤公はその後さらに小高村(現在の南相馬市小高区)に移り、ここを相馬氏の本拠地とした。
発祥の地の左右にも立派な石碑が建つが、残念ながら碑文の判読はできなかった。
ここ南相馬は東京電力福島第一原発から近いが、「相馬野馬追」は、事故直後に規模こそ縮小したものの毎年行われている。しかし、神社の敷地内には放射線モニタリングポストが設置されており、ここが事故被災地であることをいやでも実感させられる。
写真
碑文
相馬郷發祥地
孫五郎重胤公城址
子爵相馬惠胤謹書
相馬太田神社
御由緒
(略)
当社は今を去る六百八十余年前元享三年四月二十二日茨城県守谷城より相馬孫五郎重胤公が御国換えの際、氏神とし持ち来たり祀られたもので相馬の発祥地なり、霊験あらたかにして生とし生ける物は其の御分霊受けて居り神人、万物の生死栄枯はことごとく、其の司宰にももるる事なく福祉を万民にたれ拾い信仰なければ富貴延命を保ち長く子孫繁栄し牛馬家畜の守護神でもある。