立川 シネマ 発祥の地

たちかわしねまはっしょうのち

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撮影:
どなたか見てきてください!

中央本線・青梅線・南武線 立川駅、多摩モノレール 北立川駅から北東に600m、すっかり宅地化された地域の駐車場(立川市高松町3丁目26)隅に、地元商店会が建てた小看板が建つ。

立川キネマは大正14年(1925) 7月、並木吉蔵によって立川駅北口付近に開館した。立川市内で最初の映画館とされ、後に「シネマ立川」などと呼ばれるようになった。当時の立川は、立川飛行場の開設や鉄道交通の発展を背景に市街地が広がりつつあった。映画館は地域住民の娯楽の場となり、立川キネマはその後の映画興行の歴史の出発点となった。

戦後、立川では映画館が増加し、昭和30年代には北口と南口を合わせて10館ほどが営業する「映画の街」となった。北口にはシネマ立川のほか、立川セントラル、立川松竹、立川中央などがあり、南口にも立川日活、立川大映、立川名画座などが並んでいた。

シネマ立川は長年にわたって営業を続けたが、昭和51年(1976) 頃に閉館した。跡地は駐車場などに利用され、平成23年(2011) には、かつての映画館の歴史を伝える記念碑が建立された。

立川市は、映画館の開館から100年となる令和7年(2025) に、写真を通して「映画の街」立川の歴史を振り返る講演会を開催した。

令和6年(2024) 夏にはたしかに存在していたが、同駐車場敷地に集合住宅 ZOOM立川CinemaSite が建つこととなり、令和7年(2025) には見られなくなっていた。建物名から推察するに、シネマ通りであることを強く意識しているようなので、看板は令和9年(2027) 初旬の竣功後に戻されるのではないかと期待される。

写真


碑文

立川シネマ発祥の地

大正十一年(1922年)立川飛行場が完成して岐阜県各務ヶ原から飛行第五大隊(のちに第五連隊)が移住して来た。
それに伴い人口も増え、大正十二年 立川村より立川町と成る。
その兵隊、従業員、町民の慰安の場所と言うことで大正十四年七月十四日高松町(当時旭町)の並木吉蔵氏が二百坪の敷地に立川で最初の映画館【立川キネマ】を開館した。(後に立川シネマと改名)
当時としてはモダンな三階建てで、一階は二百席 二階は百席で前の方には桟敷席が有った。昔は映画のことを活動写真と言い、無声映画で進行に合わせて筋書きセリフを語る活動弁士(略して活弁)と音楽や擬音を入れる楽士達が盛り上げた。
昭和の初期にはトーキーとなり娯楽の黄金時代を築いた。
最盛期には市内に十館の映画館が有ったがテレビの普及と共に映画産業が斜陽となり昭和四十四年に閉館と成るが、シネマ通り商店会の名称はその名残として立川の街に息づいている。

平成二十三年二月 立川シネマ通り商店会

地図

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立川市高松町3丁目 付近 [ストリートビュー]