豊橋町立 高等女学校 発祥の地
とよはしちょうりつこうとうじょがっこうはっしょうのち
国道1号と23号が分かれる“西八町”交差点の近く、豊橋市公会堂から 100mほど西にある豊橋市職員会館(豊橋市八町通2-16)の前に石碑が建っている。 碑文にあるように,豊橋高女は 現在の 県立豊橋東高校の前身である。
明治35年(1902) 開校の 豊橋町立高等女学校と, 大正15年(1926) 開校の 愛知県立豊橋第二中学校 という 2つの学校を母体に, 昭和23年(1948) に愛知県立豊橋東高等学校となった。現在の校舎は 愛知県豊橋市向山町西猿 にある。
写真
碑文
世紀をこえて育む
明治35年(1902年)
豊橋町立高等女学校発祥の地
平成14年(2002年)
愛知県立豊橋東高等学校100周年記念
記
- 明治35年(1902年)
- 豊橋町立高等女学校創立
愛知県渥美郡豊橋町大字西八町35の37合筆地- 明治40年(1907年)
- 豊橋市立高等女学校と改称
- 明治44年(1911年)
- 豊橋市旭町に移転
- 昭和13年(1938年)
- 豊橋市向山町西猿22に移転
- 昭和23年(1948年)
- 学制改革に依り
愛知県立豊橋東高等学校となる題字 岡崎ゆき子(高女38回生)
デザイン 伊奈彦定(東5回生)