つべつ 玉葱 発祥之地
つべつたまねぎはっしょうのち
石北本線
津別町は明治35年(1902) に福島県からの入植があり,その後 北陸・東北からの入植者によって開拓された。当初は 麦・ジャガイモなどが栽培されたが,大正初期からハッカや豆類などが作られるようになった。 タマネギは 昭和40年代から生産されはじめた 比較的歴史の浅い作物である。
なお,北海道のタマネギの発祥の地碑は,札幌市・富良野市・美幌町にもあるが, その中で 津別町のものは最も新しく建立された。
写真
碑文
つべつ
玉葱発祥之地碑文
津別町の玉葱の創始は,昭和四十年網走川沿いの肥沃な岩冨の大地に,矢作敏夫氏が直播で二十アール作付したのに始まる。
病害,雑草と闘いながらも昭和四十五年には,岩冨で一・二ヘクタールとなり,昭和四十六年には 耕作者七名で十三ヘクタールと広がり「北見玉葱」が 日本一の産地となった原動力となる。
昭和四十七年四月,津別町玉葱振興会が,共計共販を目的に設立される。又,指定産地に伴う集出荷施設が建設される事になり,初代会長に,細川昇氏が就任され,「良い玉葱,作る心が産地を守る」を合言葉に達美・共和・恩根・本岐地区でも栽培されるようになり,爾来二十年,一般畑作の低迷の進む中,会員四十五名,面積二百五十五ヘクタールとなる。
ここに先駆者の偉業を讃えると共に,二十周年 を記念し,この創始の地に碑を建立する。平成四年二月十四日
津別町玉葱振興会
二十周年記念事業協賛会