クリーニング業 発祥の地

くりーにんぐぎょうはっしょうのち

みなとみらい線 元町・中華街駅の元町側出口のすぐ東、谷戸坂からフランス山公園へ入る入口に自然石の大きな石碑が建つ。これがクリーニング業発祥の地碑である。

安政6年(1859) に横浜が開港されて西洋人が多く居留するようになると、必然的に西洋式の洗濯の需要が増加した。多くの業者が開業し、これが現在のクリーニング業に発展した。記録によると、一番最初の業者は青木屋忠七、明治中期には83名の業者名が記録されている。脇沢金次郎は清水屋という屋号で、現在のフランス山の下、谷戸坂で大きく営業をした。「西洋洗濯どこからはやるはやる横浜谷戸の坂」などというはやり唄がうたわれたと言われる。

これらの記録に基づき、フランス山の谷戸坂に面するこの地に「クリーニング業発祥の地」の碑が建立された。

  • (参考文献)
    クリーニング業発祥の地記念誌」神奈川県クリーニング環境衛生同業組合(1973)

写真

  • クリーニング業発祥の地(2004)
  • クリーニング業発祥の地(2023)
  • クリーニング業発祥の地(2023)
  • クリーニング業発祥の地(2023) 背面
  • クリーニング業発祥の地(2023) 碑文
  • クリーニング業発祥の地
  • クリーニング業発祥の地 碑文
  • クリーニング業発祥の地

碑文

クリーニング業発祥の地

安政六年神奈川宿の人青木屋忠七氏西洋洗濯業を横浜本町一丁目現在の五丁目にて始めついで岡澤直次郎氏横浜元町に清水屋を開業 慶応三年脇澤金次郎氏これを継承し近代企業化の基礎を成した

この間フランス人ドンバル氏斯業の技術指導および普及発展に貢献された

これら業祖の偉業を顕彰しこゝにクリーニング業発祥の地記念碑を建立する

昭和四十八年十月吉日
神奈川県クリーニング環境衛生同業組合
全国クリーニング同業者有志一同

日米和親条約締結により此の地横浜が、西欧文明の流入開華とともにクリーニング業発祥の地として定着し今日の隆昌をみるに至る
斯業にたずさわる者益々研鑚を重ね、理想實現のためこゝに発祥の碑を建立する
多大なるご協賛を賜りました神奈川県、横浜市、両ご当局並びに全国の同業関係各位に対し深く謝意を表する

クリーニング業発祥の地
記念碑建設委員会

題字 神奈川県知事 津田文吾 書

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