伎楽 伝来の地

ぎがくでんらいのち

近鉄 橿原神宮前駅から東に2km。明日香村大字豊浦のほぼ中央に浄土真宗の向原こうげん寺がある。向原寺の南に“難波池”と呼ばれる小さな池があり,その傍らに「伎楽伝来の地」と書かれた 高さ1.3mほどの新しい石碑が建っている。

伎楽ぎがくとは 大きな仮面をつけて演じられる台詞の全くない無言劇。滑稽・野卑な無言仮面劇のようなもので,聖徳太子の時代に 仏教の教えを深く理解させ仏法を広めることを目的として盛んに行われていたが,その役割は徐々に雅楽へと移行し,鎌倉時代には衰退してほぼ伝承が途絶えている。現在は 限られた団体により楽曲の一部のみが復活されているが,“舞”に関しては全く途絶えて失われており 単純な所作のみが行われている。

伎楽の伝来に関して,日本書紀によれば 西暦612(推古20)年に 百済の味摩之みましが伝えたとされる。味摩之は日本に帰化して奈良 桜井に住まい、若者を集めて伎楽を習わせたという。

太平洋戦争後,桜井市出身の評論家 保田與重郎は,味摩之が伎楽を教習させた場所を考証、桜井小学校の校庭の南側にある土舞台が伎楽教習所だったとし,1972(昭和47)年に「土舞台」と刻した標石を建てた。これ以来伎楽伝来の地は土舞台であるとされてきた。

ところが,韓国 世宗Sejong大学のLee應壽Eung Soo教授は,聖徳太子が築いたとされる日本初の伎楽教習所は 現在の明日香村豊浦であるとする新説を発表。2010(平成22)年に「伎楽伝来の地」の碑を向原寺の境内に建てた。この新しい“伝来の地”説には賛否両論があるようだが,いずれ時代の経過とともに評価が定着していくのだろう。

芸能発祥地

写真

  • 伎楽伝来の地
  • 伎楽伝来の地・愛瓢会発祥之地

碑文

伎楽伝来の地
기악의 전래지

『日本書紀』六一二年に,百済の味摩之が歌舞劇の伎楽を日本に伝えるや,聖徳太子が桜井に学校を設け,それを伝授させた旨がみえる。その『桜井』が,韓国の李應壽の調査研究(日本演劇学会紀要四七)により,新たにこの付近に比定されたので,碑を建て,韓国と日本の演劇交流の始原を記憶するものとする。

二〇一〇年七月二三日

韓国文学を憶う会

地図

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高市郡明日香村豊浦 付近 [ストリートビュー]