発祥之地 京浜急行電鉄株式会社
けいひんきゅうこうはっしょうのち
京浜急行大師線 川崎大師駅前。南口改札を出て右手、ホームに隣接した場所に この碑が建っている。
大師線は、川崎大師参拝の客を運ぶために作られた路線である。今でも 正月の初詣は大勢の参詣客を集め、その数は 全国第3位と言われる。
京浜急行電鉄の前身である大師電気鉄道は、明治31年(1898)に設立された。その後、明治32年(1899)に六郷橋駅(現在の京急川崎駅付近)から大師駅(現在の川崎大師駅)の間で営業を開始した。しかし、大師電気鉄道の事業計画の中心は、東京市内への乗り入れであった。
この計画に基づき、京浜電気鉄道と社名を改め、大正12年(1923)に現在の京急本線に接続する路線として、品川駅(現在の北品川駅)から川崎駅までの区間が開業した。
平成28年(2016) に訪問したら、石碑のある小広場はインターロッキング舗装され、くねった線路のような模様が敷かれていた。
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写真
碑文
発祥之地 京浜急行電鉄株式会社
京浜急行電鉄株式会社は、明治三十一年二月二十五日 大師電気鉄道株式会社 として設立され、翌明治三十二年一月二十一日、川崎六郷橋~川崎大師間の営業を開始した。
開業時の資本金は 九万八千円、営業路線は 単線二粁、車輌数は五両で 開業当時の営業報告書には、次の通りに記されている。
全般ノ機械運転上成績好結果ニシテ一日モ運転ヲ中止セシ事ナク即チ 五月丗一日ニ至ル本期間ノ営業日数ハ一百三十一日ナリシ而シテ乗客ハ相応ニ多ク 毎月廿一日ノ如キハ非常ノ雑踏ヲ極メシモ線路ノ単線ナリシト車輌ノ不足ナリシ為メ 充分ニ乗客ヲ運ビ能ハザリシノ感アリ本期間平均一日一哩ノ乗車賃ハ 五拾円九拾銭二厘ニ相当セリ。元来本社ハ関東ニ於ケル電気鉄道ノ嚆矢ニシテ 成績ノ如何ハ将来電気鉄道事業ノ発達ニ重大ナル関係ヲ有セシモノナリ 幸ニシテ今ヤ営業初期ニ於テ相応ナル純益配当ノ報告をナスヲ得 又運転開始以来一人ノ負傷者ヲ生ズルナク毎月廿一日ノ如キ数万ノ老幼群集シ 往来叢ルガ如キ場所ニ於テ乗客ヲ満載シ乍ラ一日弐百五六十回余ノ運転ヲナシテ 過チナカリシハ実ニ本社ノ幸福ニシテ亦以テ電気鉄道ノ市街交通機関ニ適シ 更ニ危害ノ虞レナキヲ表示スルヲ得タルモノナリ
かくて好調裡に営業を開始した大師電鉄は 同年四月 京浜電気鉄道と改称 昭和二十三年六月 京浜急行電鉄 となり 逐次事業の拡張を図って今日の隆昌をみるに至った。
ここに創立七十周年に当り 会社設立発起人代表 立川勇次郎 はじめ先人の遺徳を偲び 大師電鉄発祥のこの地に 本記念碑を建立する。
昭和四十三年十二月二十一日 京浜急行電鉄株式会社
東京 青山
石龍刻
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