近代 街路樹 発祥之地
きんだいがいろじゅはっしょうのち
根岸線 関内駅 北側から万国橋附近までの約1kmの「馬車道」。この最も関内駅に近い地点に赤い大理石の発祥碑が建っている。
幕末の横浜開港にともなって、ここ関内地区は外国人の居留地になった。慶応3年(1867)居留地の住民の要請で道幅が拡張され、外国人の乗った馬車が往き来するようになった。この通りは「馬車道」と呼ばれるようになり、沿道の商店街が競って柳や松を植えたのが街路樹の始まりと言われている。
現在の馬車道は決して広くない一方通行の道路だが、赤レンガの歩道は花で飾られレトロな雰囲気のベンチや電話ボックスが置かるなど、おしゃれで賑やかな商店街。
写真
碑文
1867
LOCATION OF THE FIRSTFOUNDATION TREE-LINED STREET IN JAPAN近代街路樹発祥之地
横浜市長 細郷道一 書
BASHAMICHI STREET
YOKOHAMA
馬車道の街路樹
街路樹は、近代に入ってから、人口過密な都市の景観的魅力を向上させる為に発達したものであり、参道並木、街道並木など、いわゆる地方並木とは区別されている。日本における街路樹は、明治以後、欧米都市の影響を受け、樹種の選択、 植栽手入法の改良などによって、著しく進歩、普及した。
一八六七年(慶応三年)、開港場横浜の馬車道では、各々の商店が競って柳と松を連植した。これが、日本での近代的な街路樹の先駆となった。一八七二年(明治五年)になって、馬車道に日本最初のガス灯が点火されると、この街路樹は、さらに美しく映え、夜の涼を楽しむ人々で賑わった1979年6月2日建立
開港120周年記念