近代 鰍沢 教育 発祥之地
きんだいかじかざわきょういくはっしょうのち
甲斐の国は3000m級の山に囲まれて交通の便が非常に悪く, 江戸への流通ルート甲州街道で 笹子峠を山越えして行くか, 南の駿河まで富士川沿いに運ぶしかなかった。江戸時代初期に
明治末期に中央線 八王子~甲府が, 大正に入って 富士
このような背景により, 明治維新後に学制が発布されると, いち早く学校の設立の機運が盛りあがり, 1874(明治7)年に「公立鰍沢学校」が 蓮華寺に創立された。1887(明治20)年「鰍沢尋常小学校」と改称。1907(明治40)年には蓮花寺より東に200mの現在地に校舎を新築して移転した。1947(昭和22)年に「鰍沢小学校」となり, 現在に至っている。
写真
碑文
近代鰍沢教育発祥之地
山梨県知事 天野 建 書
平成十一年三月建立
鰍沢町長 石川洋司
公立鰍沢学校
「邑に不学の戸なく家に不学の人なし」を期して明治七年(1874)十一月 この地に公立鰍沢学校が創設され 近代鰍沢の教育がここに始まりました
学校の規模は 二階建で 建坪百一坪(333.3 平方メートル) 教場十一のいわゆる藤村式の建物で, 新築費総計千弐百八拾三円九拾九銭余
明治十一年の鰍沢村明細帳によれば
一. 就学生徒 弐百五拾人 内 男 百九拾三人, 女 五拾七人
一. 不就学生徒 弐百三拾八人 内 男 九拾九人, 女 百三拾九人
として「家に不学の人なし」への道にはげみをつのらせています平成十一年三月
鰍沢町教育委員会