毎日登山 発祥の地
まいにちとざんはっしょうのち
山陽新幹線・神戸市営地下鉄 新神戸駅から北西に2km。三宮駅から
神戸の街は瀬戸内海と六甲山にはさまれ,南北には狭く東西に細長い市街地が広がっている。このため六甲山へのアクセスが非常によく,裏山感覚で山に登ることができる。
明治の半ば,神戸に在留していた外国人たちが六甲の山歩きをするようになり,やがて E・H・ドーンを中心とする外国人たちによって毎日登山する習慣ができた。ここ善助茶屋には 登山者のサイン帳がおかれ,登山仲間の社交場として賑わったといわれ,毎日登山の発祥地となっている。
この習慣は神戸の一般市民にも受け継がれ,朝の運動として 毎日仕事に出かける前に,あるいは夕方の仕事帰りに,布引や再度山の山並みを散歩する運動が広がり,それが“神戸徒歩会”に発展していった。山に登れば眼下に海が広がり,これが毎日登山の大きな魅力の一つになっている。
六甲山系の最高峰は931mだが,ここ再度山は約400m,その他の毎日登山の対象になるところもあまり高くなく,“登山”といっても 本格的な山登りのイメージはなく,散歩感覚で短時間で登れる山である。ある調査によると,毎日登山をしている人の平均登山時間は30分程度と短時間であったという。
毎日登山の会は,大正~昭和初期には400以上あって,場所も六甲山全体にひろまった。現在でも毎日登山を行っている人は 4000~5000人いると推定されている。
神戸市では毎年秋に“毎日登山累年成績表彰式”が行われ,累積の登山回数が500回,1000回……20000回 を超えた人を表彰している。ちなみに 2010年の最高は 2万回賞であった。2万回といえば,365日 休まずに登りつづけて 55年に相当することになる。ただただ頭が下がる。
写真
碑文
毎日登山の發祥の地
善助茶屋跡
昭和五十三年十月吉日
神戸市長 宮崎辰雄書
善助茶屋跡を保存する会之建
いわれ
毎日登山は此の地から生れた
明治三十八年(一九〇五)頃在神外人が北野から範多坂を登ってここ善助茶屋にサインブックを置いて署名する習わしをつけた 元町、栄町及海岸通りの商社の人達がこれに倣って登りだしたのが神戸市民の毎日登山の始まりである
大正初期から昭和十年頃までが最盛期でこの善助茶屋に百冊に余る大小登山会の署名簿が置かれ早朝には賑わいを見せていた
戦時中一時衰退したが又復活し現在では目指す山筋は別れているが毎日登山者の数は晴雨にかかわらず五千名を下らない。
ただこのゆかり深い善助茶屋は戦後次第に訪れる人がなくなりいたずらに風雨にさらされ老朽し果てついに取り壊しのやむなきに至った。
今その跡地に「毎日登山発祥の地」の碑を建て末永く神戸の誇毎日登山の隆盛を祈念するものである
範多坂=ハンター坂