日本最初の 近代競馬場
にっぽんさいしょのきんだいけいばじょう
根岸線 山手駅から徒歩約15分。根岸森林公園の南東側にある正門を入ったすぐ左手に、駐輪場と指定された場所の植え込みに横浜の標準型の史跡案内があり、日本最初の近代競馬場だったことが説明されている。
公園反対側の山元口にも同様の内容が掲示されている。(詳しい内容はそちらを参照してください)
写真
碑文
根岸競馬場跡
日本で始めて洋式競馬が開催されたのは、居留外国人により造成中の旧横浜新田(現中区山下町付近)において、文久2年(1862)5月といわれています。
元治元年(1864)の横浜居留地覚書第1条に基づき、吉田新田の一部に設置する予定でしたが、慶応2年(1966)日本最初の近代競馬場が外国人遊歩道に沿う根岸の丘の上に設置されました。形は楕円形で周囲は827間(1.5Km)、幅は10間より15間、14,920坪(49,236㎡)。グランドスタンドは、35間四方、設計はW.A.ドーソン。翌3年第1回の競馬会が開催されました。
明治8年西郷従道が日本人最初の会員となり、秋のレースで愛馬ミカンに騎乗し優勝しました。覚書により経営は外国人によって行われましたが、明治13年経営困難となり覚書は廃止され、管理権は日本政府に回収されました。日本人を含むクラブと契約が結ばれ、春・秋2回レースが開催されました。
昭和5年(1930)J.H.モーガンの設計によるスタンドが完成しましたが、昭和17年(1942)秋のレースを最後に、昭和18年より日本海軍、昭和22年より米軍が使用していました。
昭和44年、スタンドを除く14.2haが返還され、根岸森林公園となり、須多のは、昭和57年に返還され横浜市の管理となりました。横浜市教育委員会文化財課
社団法人横浜国際観光協会
平成6年3月