わが国 最初の 洋式 競馬が 行われたところ
わがくにさいしょのようしきけいばがおこなわれたところ
根岸線 山手駅から西に約1Km。根岸森林公園の北側にある山元口に、鉄の造作で装飾された根岸森林公園の案内図が外国軍隊による占領地入口に並んで建っている。
この鉄の装飾についての詳細はわかりませんが、いかにも J.H.モーガン風な感じで、当時の趣をただよわせる。
正面に見えるのは関東大震災の影響で使えなくなったスタンドを建て直した、昭和5年(1930) 竣工の一等馬見所(メインスタンド)で、丸ビル等を手掛けたジェイ・ハーバート・モーガン設計。文化的価値が認められるものの、耐震補修等に費用がかかることと隣接地が外国軍隊に占領されているなどの理由で、補修・公開の目処は立たない。
横浜の外国人居留地における娯楽施設として慶応2年(1866) に開設され、慶応3年(1867) に外国人クラブの主催で日本初の洋式競馬が行われた横濱競馬場。第二次世界大戦の影響により昭和18年(1943) で休止。その後陸軍に買収され、港湾施設が丸見えとなる位置関係から海軍が使用し、戦後 昭和20年(1945) にはアメリカ軍に接収され、ゴルフ場等として利用されていた。その後 昭和62年(1987) までにほぼ返還され、現在では起伏豊かな芝生の広場があるだけの、施設らしい施設がほとんど無い公園として市民に親しまれ、思い思いに時間をすごしている。敷地の一部は中央競馬会による根岸競馬公苑として展示やイベントが行われている。
なお、根岸森林公園反対側の正門を入った所にも、同様の内容の説明がある。
【リンク】根岸森林公園
写真
碑文
根岸森林公園案内図
ここは、慶応3年(1867年)にわが国最初の洋式競馬が行われたところで、昭和18年6月まで続きましたが、戦後は接収され、米軍のモータープール、ゴルフ場となっていました。
昭和44年、主としてゴルフ場だった場所が接収解除となり、横浜市は、昭和47年から公園整備に着手、中央競馬会による競馬記念公苑とともに、昭和52年10月1日開園しました。
History of Negishi Forest Park
The first western-style horse racing in Japan took place here (formerly Negishi Race Track) in 1867. Horse racing had been held here until June 1943. Shortly after the Second World War, the Horse Racing Track was requisitioned by the Occupation Forces and was used as a motor pool and a golf course.
In 1969, most of the race track area, which had been mainly used as a golf course, was returned to the Japanese Goverment, Later in 1972, the City of Yokohama initiated to turn the site into a park. Central Horse Race Association inaugurated the Race Horse Museum.