石門心学 発祥之地

せきもんしんがくはっしょうのち

地下鉄 烏丸線・東西線の交わる烏丸御池駅の北東100m、静鉄ホテルプレジオ京都烏丸御池前(中京区車屋町通御池上る塗師屋町339)に、1mほどの小振りな石標が2つならんでいる。

令和元年(2019) 6月、ホテルの開業の10日ほど後に除幕。石田梅岩心学講舎跡碑と並ぶ。ホテルに建て替わる前、民家前に「講舎跡」碑がひとつだけ建っていた。ホテルになって前庭が整理された時に「発祥之地」碑が追加されたようだ。

写真

  • 石門心学発祥之地 碑文
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  • 石門心学発祥之地
  • 石門心学発祥之地 背面
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碑文

石門心学発祥之地

石門心学(せきもんしんがく)発祥之地

石田梅岩(いしだ ばいがん)先生(一六八五~一七四四)は、京都の呉服商に勤め、独学で神儒仏を学び、そして小栗了雲(おぐりりょううん)に出会って指導を受けた。
四十五歳にこの塗師屋町(ぬしやちょう)でだれでも自由に聴講できる講義を始め、門弟にひととしてあるべき道を教えた。
彼は受講者の身分、男女、年齢、宗教を問わず、心を知るための修行を「石門心学(せきもんしんがく)」と名付け、全国に百八十あまりの講舎を設立した。
江戸時代における一大教化機関となり、明治以降の経済発展に大きな影響を与えた。
開講二九〇年に当たり、ここに記念碑を建立する。

京都市

The Place Where "SEKIMON SHINGAKU" Started

Ishida Baigan (1685-1744) worked for Kimono merchant in Kyoto and learned Shintoism, Confucianism and Buddhism by himself and was educated by Oguri Ryuen. At the age of 45 Baigan opened a lecture course, which is open to public and any one can participate freely here in Nushiya-Cho, and taught his students the way how they live along as human being.
Baigan continued his lecture course and prevailed the thought to find themselves regardless of the students' class, gender, age and religious idea.
Baigan's student named his thought as "SEKIMON SHINGAKU" and established more than 180 lecture courses throughout Japan.
Those lecture courses became top educational entity in Edo Ara and contributed to the development of capitalism in and after Meiji Ara.
Commemorating 290 years history since Baigan's first lecture course, we establish monument here.

Kyoto City

石门心学发源地

石田梅岩在京都的和服店工作时自学了神道教、儒教、佛教,后师从小栗了云学习。45岁
时在这个涂师屋町开办了谁都可以自由来听讲的讲座,教授弟子为人之道。
他不问听讲人的身份、性别、年龄、宗教,毕生奉献于传授修心之道。
他的弟子将他的教义命名为“石门心学”,在全国创办了超过180间讲舍。在江户时代成
为一大重要的教育机构,对明治以后的经济发展产生了巨大影响。
正值心学开讲290年,我们在此立碑以作纪念。

京都市

세키몬 신가쿠의 발상지

이시다 바이간 선생 (1685~1744)은, 교토의 포목상에서 근무하며, 신도,유교, 불교를 독학으로 공부했다. 그리고 오구리 료운을 만나 지도를 받았다. 45세에 누시야 마을에서 누구라도 자유롭게 청강 할 수 있는 강의를 시작하여, 문하생을 사람으로서 갖추어야 할 길을 가르쳤다. 그는 수강생의 신분, 남녀, 연령, 종교를 불문하고, 마음을 알기 위한 수양을 평생 설파했다. 그의 제자가 스승의 교의를 「세키몬 신가쿠) 이라고 이름지어, 전국에180 여개의 강습소를 설립했다. 에도시대의 일대 교화기관이 되어, 메이지시대 이후의 경제 발전에 큰 영향을 주었다.
개강 290년 즈음하여, 여기에 기념비를 세움.

교토시

ハングルに誤りがあるようだが、原文まま(言語に精通していないのでよくわからない)

此付近このふきん石田梅岩いしだばいがん講舎跡こうしゃあと

この車屋町御池上る東側付近には、江戸時代、石門心学を説いた石田梅岩の講舎があった。
丹波国桑田郡東懸村(現在の亀岡市東別院町東掛)に生まれた石田梅岩は、京都に出て呉服屋で奉公した後、享保十四(一七二九)年に講席を開き、聴講料を一切取らず、だれでも自由に聴講できる形で講義を始めた。
その講義の中で、正直・倹約・勤勉など道徳の中心に人が人として生きる道について、町人が日常的に実践できる形でわかりやすく説いており、そのわかりやすさが多くの町人の心をとらえ、石門心学として広まった。
この石田梅岩の教えは、とりわけ商人の間に広まり、三百五十年以上を隔てた今日においても、多くの京都商人の経営理念に取り入れられ、商人の職業道徳の基本となるとともに、現代の人権文化の発展にも大きな影響を与えている。

京都市

地図

地図

静鉄ホテルプレジオ京都烏丸御池 付近 [ストリートビュー]