白河 農工 高等学校 發祥之地
しらかわのうこうこうとうがっこうはっしょうのち
東北本線 白河駅の南 450mの白河市役所の東側、そこにあった図書館が取り壊された駐車場(白河市手代町22-1)の南東隅に石碑が建つ。
写真
碑文
福島県立白河農工髙等学校
發祥之地本校は、昭和二年五月、白河町立商業学校として、手代町の第一小学校内に設置されたのにはじまる。
昭和十九年四月、戦時措置により、白河町立農学校となり、昭和二十三年四月、戦後の学制改革で農業高校となった。
昭和二十五年十二月、不幸にも校舎が類焼し、昭和二十七年七月七日、現在の瀬戸原の地に移転した。その後内容を充実して昭和二十八年四月、福島県立白河農業高等学校となった。
さらに、工業科の新設等があって、昭和三十四年四月より、福島県立白河農工高等学校となる。
町立の実業学校を創立した白河市民の心情を銘記し、創立五十年を記念して、この碑を建立した。ときに、農業科、機械科、電気科、家政科の四科をもち、生徒数一、〇〇〇名。昭和五十二年十一月二日 之建
福島県立白河農工高等学校創立五十周年記念会
題字 学 校 長 鈴木 健蔵
撰文 記念会長 柏木 和好
謹書 教 頭 田邊 昭次