天龍運輸 発祥之地
てんりゅううんゆはっしょうのち
東海道本線 天竜川駅から東に1.2km。東海道線が天竜川を渡るあたりの河川敷に“天竜川緑地”と呼ばれる公園がある。公園から堤防を越えた外側に「天竜運輸発祥之地」と書かれた大きな石碑が建っている。
天竜運輸は、総合運送業 丸運㈱の前身で、明治25年(1892) にこの地で創業した。昭和初期までは、国策会社である日本通運を除けば、国内最大の陸運会社に成長したが、第2次大戦中は日本通運に吸収合併され、戦後再び独立して、丸運㈱となった。
天竜運輸の創業者は金原明善。彼はこの近くで生まれ、和田村村長を務めたほか、天竜川の治水事業・北海道の開拓・植林事業など八面六臂の活躍をした人物である。金原明善の業績を顕彰するために、この地から西に2kmの生家跡に“明善記念館”が設立されており、毎年1月には“明善祭”が行われている。
写真
碑文
天龍運輸発祥之地
正天竜運輸株式会社は,金原明善翁の創業により明治二十五年九月二十一日 当地において運輸取扱事業を開始した。その後同社は発展し,大正から昭和のはじめには,わが国,民間系最大手の運輸会社に成長した。昭和の戦時体制下国策により陸運業界はすべて政府系企業に強制合併されることになったが,明善翁の創業の精神を将来にわたり守っていきたいと考えた大澄文次郎氏(磐田郡東洋町出身)ならびに同志により株式会社天龍組が設立され,その精神が受け継がれた。戦後の昭和二十二年十二月 天龍組は(運)天龍運輸株式会社と改め,昭和二十四年十二月には通運事業免許を取得して陸運事業を再開した。
昭和二十五年一月には株式会社鉄道木下組と合併,天龍木下運輸株式会社となり,さらに事業を拡大するため日本鉱業株式会社の出資を得た。その後昭和二十五年六月,株式会社丸運と商号を変更して今日に至っている。
創業時,正天龍運輸株式会社の本店はここから北北東二〇〇米の所にあったが,現在は公道となっている。ここはに本店社屋と接続した荷揚場であった。
この度正天龍砂利株式会社殿(正天龍運輸の業務の一部を継承し昭和二十年設立)のご好意により,当社縁の地に創業の記念碑を建設し,明善翁の偉業を景仰するものである。昭和六十三年十月四日
株式会社丸運 代表取締役社長 大野英雄