吉田町 学校 教育 誕生地
よしだちょうがっこうきょういくたんじょうち
東海道本線 島田駅から南東に10km。大井川の右岸。小山城跡から300m南に林泉寺という臨済宗の寺がある。寺の入り口に吉田町学校教育誕生地・
林泉寺は県立榛原高等学校の発祥の地である。この地 榛原地方に中等教育に関してなかなか理解を得られなかったが、吉田村出身で浜松中学校教員であった浅井熊太郎氏の熱意により賛同者が広がり、当地区で初(静岡県内5番目の)中学校(旧制)を設立した。大堰川(=大井川)の南に位置するという意味で「堰南学校」と名付けられた。
その後、隣接する榛原町に「郡立榛原中学校」が設立されたため、これと合併して堰南学校は廃止された。このことにより、榛原高等学校発祥の地である。
写真
碑文
吉田町学校教育誕生地
堰南 学校 (明治三十三年七月)
吉田町教育委員会
堰南学校之跡
建碑趣意
榛原高校の前身に当たる吉田村立中学堰南学校は、明治三十三年七月ここ林泉寺を仮校舎として開校された。学校はかねて堰南の地に中等教育学校のないことを嘆かれていた片岡の浅井熊太郎先生のご主唱に、地元の先見有志の方々が賛同協力されて創設されたものである。大堰川(おおいがわ)の南という意味で命名されたが学校には、吉田村以外からも向学の志に燃える生徒たちが集まった。
堰南学校は翌年、榛原町静波に創立された郡立榛原中学校に吸収されたが、その設立の壮図は脈々と受け継がれて、榛原高校は本年創立百周年を迎えるに至った。ここ母校揺籃の地に学んだ明治の少年たちの心意気が、新しい時代に生きる榛原高校の生徒諸君にも長く生かされることを願ってこの碑を建てる。平成十二年十一月
静岡県立榛原高等学校百周年記念事業委員会
文 川内利一
書 鈴浮忠雄
「林泉寺の長藤」について
この林泉寺の長藤は、
当残先住 、昌雄 和尚が昭和四十二年に榛原町・東光寺 の住職だった河内 祥山 和尚から『小指大の長藤の一芽 を譲り受け、境内にあった山藤に接木 したものであり、本年(平成十一年)で樹齢三十二年になります。東光寺の藤は、大正の初期に磐田郡
豊田町 態野 の行興寺 の長藤を受け継いだと言われ、林泉寺の長藤は、いわば態野 の長藤の孫にあたるわけです。昌雄和尚の熱心な管理と町や地域・檀信徒・花の会の方々等のご協力により、大きく成長し『水と緑と花の町吉田町』にふさわしい『花の寺』として有名になりつつあり、観光客も増えています。
花の見頃は四月中旬から下旬頃です。
また、林泉寺は『町立吉田小学校』や『県立榛原高等学校』の発祥の地としても知られ、開山以来『六百五十年の歴史と伝統に息づく禅宗の寺』です。
平成十一年一月
林泉寺長藤保存会