だだちゃ豆 此地で 農家の 一主婦により 創選された
だだちゃまめこのちでのうかのいちしゅふによりそうせんされた
羽越本線 羽前大山駅から南へ3.1km、
だだちゃ豆は、山形県鶴岡市(旧 西田川郡大泉村白山など)を中心に栽培されてきた枝豆の在来品種である。通信販売などでは「白山村産」がことさら強調されているが、明治の町村制施行後には白山村という自治体は無い。
明治時代中期、白山地区の農家の主婦
- 小真木
- 早生甘露
- 甘露
- 早生白山
- 平田
- 晩生甘露
- 尾浦
- 白山
「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「父親」「おやじ」を意味し、城主や代官に献上した際「どこのだだちゃが作った豆か」と尋ねたことに由来するという説が広く知られている。
長らく地元での自家消費や近隣市場への出荷にとどまっていたが、昭和50年代(1975くらい) 以降、低温輸送技術の発達や包装資材の改良によって全国的な流通が可能となった。独特の強い甘みと芳醇な風味が評価され、高級枝豆としてのブランドを確立した。
写真
碑文
白山だだちゃ豆記念碑
庄内が誇る在来枝豆の雄白山だだちゃ豆の原形藤十郎だだちゃ豆此地で農家の一主婦により創選された。水稲単作志向の高い九十余年前、枝豆の変異種に着目した先見性と其の普及に協力した女性達の営みを後世に伝える為、茲に記念の碑一基を建立した。
創選者は森屋初。明治二年四月六日、庄内領山浜通淀川組白山林村に父藤十郎 母勝の長女として出生。同家は藩主の感状を受けた事のある篤農。水稲種中生愛国育成の森屋理吉は実弟。初は明治四十年、娘茶豆に八月二十日以降に実る一本の変異種を発見。甘さと芳香に優れた系統を選別・選種し同四十三年、家号を冠し藤十郎だだちゃ豆が育成される。
同形種は漸次地名で広まり、其の美味豊香を追求した初と同集落の女性達の努力により現在の銘柄の基が築かれた。今日、同豆は減反の受皿となり、米収入減を補い当地農産物の旗頭となる。平成十二年、鶴岡市枝豆粗生産額十億円突破に導く。初は昭和六年一月六日没 享年六十三歳。同豆の将来を心に掛け「豆の葉陰から見守る」の言葉を遺した。平成十四年八月吉日
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