江別 発祥の地

えべつはっしょうのち

函館本線 江別駅の北西3.5km。国道275号が 石狩川を渡る“新石狩大橋”の手前で 東に 600m入った地点に“榎本公園”がある。公園の入口に 2mほどの標柱が建っている。

また 公園の中に「榎本武揚顕彰碑」があり, これの碑文にも ここが 江別発祥の地である ことが記されている。

江別市は 札幌市の東隣に位置する 人口12万余の中都市。江別の開拓は, 明治4年(1871) に宮城県人の21戸76人が ここ対雁ついしかりに来たのが 始まりとされる。

榎本武揚は, 明治2年(1869) に函館戦争に敗れて五稜郭で官軍に降伏し 捕らえられたが, 「これからの日本に必要不可欠な人物」として3年後に釈放され, そのまま北海道開拓使勤務となって要職につくかたわら, 明治6年(1873) にここ対雁の地に 個人的に10万坪の土地を取得して 農園を開いた。その跡地が ここ“榎本公園”である。

その後 明治11年(1878) には 屯田兵も入って 江別村となり, 1916(大正5)年には 江別町に昇格。昭和29年(1954) に 市制が施行されて江別市が誕生した。

写真

  • 榎本公園
  • 江別発祥の地 標柱
  • 江別発祥の地 説明
  • 江別発祥の地
  • 榎本武揚顕彰碑
  • 榎本武揚顕彰碑 銅像
  • 榎本武揚顕彰碑 碑文

碑文

史跡 対雁番屋・駅逓 江別発祥の地

史跡 津石狩ツイシカリ(対雁)番屋

いまから270年ほど前(享保年間), 世田豊平川河 口に石狩13場所のひとつとして商場が開かれ, その後番 屋が設けられ鮭漁と内陸水路交通の要点として発展した。
1868年(慶応4年)に立花由松が江別最初の和人 として定住した。明治4年には宮城県から76人が入植 し, 9年には樺太(サハリン)に住む854人のアイヌ が移住させられた。これにより学校や製網所がつくられるな ど対雁はにぎわい, 12年に駅逓所, 13年に対雁・江別 両村戸長役場が置かれた。
しかし, 15年の鉄道開業により人の流が江別・野幌 に移り, 19・20年にはコレラの流行により300人以上 の病死者を出す大惨事にみまわれ, 対雁は衰退をはじめた。
駅逓所は18年に廃止となり, 19年には戸長役場と郵 便局が江別村に移転した。
駅逓の入り口に植えられた赤松は, 駅逓の松と して親しまれ, 現在は石狩川の河川敷地になった 旧対雁市街の繁栄をしのばせていたが, 老枯して 今はない。

平成2年9月

江別市教育委員会

榎本武揚顕彰碑

 対雁は 黎明日本の明治政府に 於ける要職を歴任した,榎本武揚が,北海道開拓の勇志を託し,農 場を開いたゆかりの地であり,江別市発祥の地である
 これらの史実を永く後世の人々 に伝える記念とするため,対雁住 民の総意をこめて榎本武揚顕彰碑 を建立する

榎本公園建設期成会

昭和四十五年六月 建之

題字 北海道知事 町村金吾
制作 彫刻家   佐藤忠良

地図

地図

江別市工栄町 付近 [ストリートビュー]