半田 歌舞伎 坂東座 発祥之地
はんだかぶきばんどうはっしょうのち
上越線 八木原駅の北東600mほどにある早尾神社(渋川市半田1439)境内。西側に様々な碑があるのだが、よく目立つ中央手前側に大きな石碑が立つ。
写真
碑文
半田歌舞伎坂東座発祥之地
昭和六十一年丙寅十一月吉日
坂東座一同建之
半田歌舞伎由来之記
副碑
それ先人の遺業を継承し此れを後世に伝承するは吾人の務めである。我が半田歌舞伎は遠く享保年間に源を発し、二世紀半もの長い間禁制をかいくぐり弾庄と戦い、かくれ芝居と言われ乍ら図太い農民魂で、親から子へ子から孫へと受け継がれてきた、その昔、江戸歌舞伎の一座が例年の通り旅興行に出て越後路で長雨にたたられてご難に遇い、三国峠を越えて、上州路の半田村に辿り着いた時は病人続出、二進も三進もいかなくなり、顔見知りの村人の家に分宿して手厚い看護を受け元気を快復、村人に三拝九拝して江戸に帰った、それが取り持つ縁で、農閑期にお礼心に芝居を教えたのが半田歌舞伎の発祥であり、本格的な江戸歌舞伎と言われる由縁である。 当時、半田早尾神社の東に立派な舞台を造り、当地の腕自慢の連中が江戸歌舞伎の本流と銘打って公演していた、その舞台も明治五年の勧農祭大公演後に解体され、今は跡形もない昭和四年同志相寄り半田歌舞伎を復興して坂東座と命名、広栄館劇場に於て盛大に復興祭を催し、爾来近郷近在の行事に招待されて 伝統の演技を披露、県下随一との高評、現在は後継者も充実し、移動舞台も整備した。
よって、昭和五十四年度県民芸術祭に、藝術文化の普及振興に貢献せる功績に因り、群馬県文化奨励賞を受賞した。
此処に半田歌舞伎の由来を記し後世に遺す。昭和六十一年丙寅十一月吉日
坂東座一同建之
(撰文 高橋留吉)顧問 高橋友市
座長 高橋留吉坂東座々員
年令順
(芳名略)子役
(芳名略)施工 木村石材店(以下略)
群馬県知事表彰受賞記念
芸術文化奨励賞
昭和五十四年十二月一日教育文化功労賞
平成元年五月三日(芳名略)
平成元年十一月吉日 坂東座一同建之
昭和六十一年丙寅十一月吉日
坂東座一同建之