北都銀行 発祥の地
ほくとぎんこうはっしょうのち
奥羽本線 十文字駅から南東に2.5km。横手市立増田小学校の300mほど東にある北都銀行増田支店の前に,白い石碑と 副碑が建っている。
明治28年(1895),「株式会社増田銀行」が 平鹿郡増田村(当時)に創業した。 その後 大正11年(1922)になって,社名を「株式会社羽後銀行」と改め,大館銀行と仁賀保銀行を合併。昭和39年(1964) に本店を秋田市に移転。平成5年(1993)「秋田あけぼの銀行」と合併して,「北都銀行」と商号を変更した。さらに 平成22年(2010) には 山形県に基盤を持つ「荘内銀行」との経営統合を行う予定となっている。
横手市増田地区 (旧 増田町)は 秋田県の南部にあって,古い時代から日本海側と太平洋側を結ぶ交通の要衝であった。また 土地が肥沃で米と水に恵まれていたため酒造りが盛んで,養蚕・葉たばこなどの生産も多かったため商業も盛んであり,豪農・豪商の町となり,今でも多くの蔵が残る豊かな土地柄であった。当時“村”でしかなかった増田に銀行が創られた背景にはこのような事情があった。
増田は「蔵の街」と呼ばれることがあるが,町中を歩いても蔵の姿は見られない。建物の中に蔵を造り込んだ『
ちなみに 横手市は平成17年(2005) 10月に,(旧)横手市・増田町 など 1市4町2村が合併して (新)横手市と なったもので,現在の人口は 秋田県内では 秋田市に次ぐ第2位である。
荘内銀行とは経営統合し、合併はせずに引き続き北都銀行・荘内銀行それぞれで経営され、仙台市を本拠地とする金融持ち株会社であるフィデアホールディングス㈱(仙台市青葉区中央三丁目1-24)の傘下となっている。
写真
碑文
北都銀行発祥の地
平成十二年十一月建之
斎藤隆夫書
発祥の由来
明治28年5月3日,増田銀行がこの地に開業した。
明治の半ば,増田は県南の小地域にありながら,地勢上の利点もあって大地主が多く,小作人や葉莨耕作・ 蚕・葉桑の育成を行う人々を抱えながら,その資金や生活の面倒をみていました。
この人々に対する資金の貸与・回収の業務は煩瑣で互いに錯綜するものがあった為,これらの業務を取り扱うものとして銀行を設立する機運が醸成されてきていました。そののち,大正11年に羽後銀行と商号を変更し,業容の拡大に伴って横手市へ移転する昭和24年まで,この地を本店として営業してきた。
平成5年,秋田あけぼの銀行と合併して現在の北都銀行 となった。